スガコバはスガコバ
バレンタインといっても今年は(も?)
ハナから更新する気が無かったので
らしいことは何一つなく、チョコも今日一日に限って言えば
なぜか縁が無いまま終わってしまいました【笑】
そんな今年のバレンタインで一番バレンタインらしかったなと思ったのが
ニュースにもなっていました同性婚を求める全国一斉提訴。
この日はもともとチョコを贈り合うようなゆるふわな祝祭ではなく
結婚を禁じられていた古代ローマの兵士のために
式を執り行ったために処刑された聖ウァレンティヌス殉教の日
ゆえに同じく(法的な)結婚が許されない同性カップルが
声を上げるにはこれ以上うってつけの日は無いよなと。

で、“腐女子”というより心はアクティヴィストな人間が
なぜかスガコババッテリーなんかにドハマりしちゃうと
しばしば戸惑ってしまうといいますか【苦笑】
――だって仲が好すぎるんだもん、ご両人w
このお写真は小林フォトブックで一番好き
といっても過言ではないスガコバ2ショットなのですが
特に菅野さん、相方が傍にいるとこのとおりニマニマしちゃうし
お立ち台では「誠司のおかげ」を欠かさないし
お馴染みの勝利のハグだって、あの笑顔のうちの小林の打率分くらいは
勝った喜び以外の何物かじゃないかとww
そんなわけで、バッテリーはしばしば夫婦に喩えられますが
あの二人はそれ以上に“夫婦”、よってファンは
事あるごとに「さっさと結婚しろ♪」と言ってるわけですが……
コレもしかしてマジでガチなんじゃないの?と
思ってしまうエピソードもあったりするわけで
だとしたら、こういうヘテロ前提のジョークは
当事者にとって笑えない冗談ですよね(-_-:)
  いや、ヘテロでも充分笑えないが

そんなわけで、本当のところどうなんだと
しばし煩悶した挙句たどり着いた境地は
スガコバはスガコバで、スガコバ以外の何物でもないのだと
――まさにそのとおりなんですけど
これは別にあの二人にだけ当てはまることではなくて
人間が二人以上いたときに生じる関係総てがそうなのではないかと。

とはいえ人というのは、誰かと誰かが仲良くしていると
その属性から勝手に二人の関係に名前を付けて
分類して、さらに格づけしたがってしまうもの
やれバッテリーだ、親友だ、いや愛し合っているんだと。
でもそうやって同じカテゴリーに放り込まれた関係性でも
二つとして同じものがあるのだろうか。
同じ友達であっても自分とAさん、自分とBくんとの関係は違うし
同じ恋と呼ぶものであってもイマカレとモトカレとでは
一緒にするのが乱暴と思うくらい全く別物だったりもするわけで
本来ならばそれらを一つひとつ別の名前をつけた上で
取りうる親密さも含めて丁寧に定義づけるものなのでは。

なので、人が人に(ときどき物に)寄せる想いは
総て「愛」と呼ぶしかないんだよな
、というのが店主の個人的スタンス。
そしてその「愛」には決まった優劣は無いわけで
配偶者より大事な友人がいていいし
友情にも似た絆で結ばれたきょうだいだっている
(というかいた、実例オレ;泣)
そういう世間的感覚での“則”を超えた感情を
勝手に狭義の「愛」と勘違いする奴らもいるにはいるけどね
   CHノベルス版でのあの有名な、撩が槇兄に言った
   「お前は香に惚れてる」発言も、要はそういうくだらない誤解かと

なのでバレンタインは「本命」とか「義理」とか言わず
自分が“愛する”人に、その愛の大きさに応じて
チョコレートをバラ撒く日であっていいと思うし
スガコバちゃんはこれからも女性ファンをやきもきさせながら
末永く爆発しちゃってください【笑】
そのためにもコバちゃん今年も正捕手死守せねば!

浮気できない性質

2010年12月22日 趣味
……なのかもしれない、恋愛でも。
まぁ、経験したことないんでわかりませんが
今回は趣味の話。

先日『洋楽倶楽部80’s』を紹介したときにも言いましたが
店主、前々から洋楽について齧ってみたかったんですよね。
あれは学部時代、大学に入ってさぁ視野を広げるぞ!と燃え立っていた頃。
幸運にもKISS好きな軽音部所属の友人も出来て
彼女をシェルパ代わりにとりあえず判りやすいとこから……
なんて思っていましたが、結局果たせず今に至る。
本だって、推理小説だけでももう少し視野を広めてみたいし
時代小説も本格的に読んでみたい(←NHK時代劇好き)
と思い続けていますが、未だ叶わず。
手当たりしだいなんてのは物理的に無理だし
だからって売れ筋の東○圭吾とか手に取るのもなんか嫌だし
ていうか『新宿鮫』すらまともに読んでないよどないしよ。
今読みたいのは堂場瞬一、誉田哲也、今野敏の
どれも警察小説なんですが、まともに手を出したら破産するので【泣】
時代小説もねぇ……偶然にも『居眠り磐音』シリーズという
いい先達があったので、ひたすらそればっか読みふけってます【爆】
図書館に『御宿かわせみ』あったから借りてきたいし
澤田ふじ子のはネタ元としても興味があるので……
ああ、CDコーナーにはTMNベストが置いてあるんだよ
そっちも借りてきたいんだけど――

でも、こと音楽に関しては
わずかな例外を除けばこの15年TUBEしか聴いていません。
それ以外聴く気がないというわけでもないのですが、今は
はっきりいってそれだけで精一杯なんです。
だいたい通学用にはMP3プレイヤーに入っているアルバム2枚を
行きと帰りのうちの片道45分ほど聴いています。
曲を入れ替えるのは2週間~1ヶ月ペース。
その間、ほぼ毎日同じ20曲弱を聴き続けて
飽きないかというと全然
まぁ、飽きが来た頃に入れ替えるわけですが
それまでじっくり聴き込んでいます。
あるときはネタ妄想を練り上げたり
またあるときは前田さんの声、
またはギターやベース、ホーンセクションといった
バックの一音一音に耳をそばだてたり
そこまでしていれば他に浮気をする余裕なんて無くなります。

それは他のことにも同様で
本職ですら、沙翁研究者といったら
作品のほぼ総てを一通り読んだことがあって当然のはずですが
店主は研究対象のものしかじっくり原文で読んだことはありません。
なのでいきなり教授に「ああ、どの劇だったっけ」と振られたって困ります。
日本語で四大悲劇は読みましたが、まぁその程度。
また、プライベートでも
ヲタと呼ばれるほど漫画やアニメ全般も
また80~90年代WJ作品について語れるわけでもありません。
CHの同時代のアニメですら、一介の子供として
たまたまその時期にやってたから見ていただけであって、
だったらむしろCH派生物(銃についてだとか中米の現代史だとか
ろくに行ったこともない新宿の地理だとか)
の方が語れるくらいですが、それだって
ガンマニアとか専門家とか新宿が庭の人とかの知識には全く敵いませんし。

――とりあえず、何が言いたいかというと
店主はマニアでもヲタでもないなということ。
ただ好きってだけ、でもその『好き』がかなりずぶずぶ逝っちゃってます。
たぶん恋愛でも、こうやってたった一人の男を
がちがちに雁字搦めに縛るんだろうなぁというのが
目に見えている落ち。
昨日は一日やる気が起きず、だらだらと過ごしてました。
偶然だらだらと見ていたTVでBL人気について取り上げてましたが
ここまで騒ぎ立てられると、女子、それもヲタク女子でありながら
BLにハマっていない、それどころか受け付けられない自分が
どこか普通じゃないんじゃないかとすら思いまして
少し考察してみました。

基本的に「女の子大好き♪」なんですよねぇ。
もしかしたらソッチの気があるんじゃないかと思うくらい【爆】
だから女性キャラの存在感が無いマンガやドラマはスルー。
当然、女子なんて圏外なBLなんて読む気がしません。

あと、友人にもこの間指摘されましたが
イケメンが嫌いということも関係あるかもしれません。
もちろんBL=イケメン、とは必ずしも限りませんが
少なくともジャンルに対する親和性には影響はあるかと。
むしろおっさんだったり筋肉フェチだったりしますからねぇ。

そして何より、テレビで指摘されてて自分的に腑に落ちたのが
女性キャラが出てくると、どうしても自分に重ね合わせてしまい
ラヴストーリーに集中できないとのこと。
・・・店主、ヒロインに自分を投影したことがありません。
創作にあたり、自分の手持ちの引出しを使うことはありますが
それと「香ちゃんになって撩に抱かれたい♪」というのは別物。
純正サエバスキーさまはさらに「香はいないことにして」だそうですが【苦笑】
だって自分にとって恋愛ってのは最も縁遠いもの、
こうしてフィクションを通して第三者的に傍観するものでしかないわけですから。
つまり、普通の男女の恋愛ものを店主はBL的に楽しんでるってことやね【笑】
だからBLと同じくらい、いわゆる『ドリーム小説』ってのを
受け付けられないのも、おそらくは同じ理由かと。

・・・と、ここまで書いてきて
やっぱり自分は特殊なんだなという気がしてきました【泣】
それとも、ヲタク系女子の大多数は穏健な男女カプ好きで
実際はまだまだ腐女子ってのは少数派なんでしょうか?
うーん、コ○ンサイトも男女カプよりBLサイトの方が多かったりしますし。

=====================================

定点観測
3/11・11:16 輝海さま
新作へのコメントありがとうございますm(_ _)m
実は輝海さまとのトークで話を膨らますことができました。多謝です。
そうですねぇ、プロのお姐さんに頼むとしたら
最後まで吐き出さなきゃ晴れなかったものが
香だったらぎゅっと抱きしめるだけでいいんですからね。

>背中から
萌えの定番でしょう!【笑】
エロバカ落ちからシリアスものまで。
耳元で囁かれたら香ちゃんも腰砕けになりそうです。
3/11・13:40〜13:43 れにゃんこさま
同じく新作にご感想ありがとうございますm(_ _)m
おお〜っ!リク主さまにそう言っていただけて光栄です♪
やっぱりこういう菩薩なカオリンに萌えてしまいます。
そればかりが香の魅力ではないんですけどね。
それに、今までたくさん後ろからギュッとされたでしょうからねぇ。
他愛ない日常からR18な日常まで
こちらも妄想してて面白かったです。
10,000hit達成した暁には、ぜひともリクエストお願いします。
案外れにゃんこさま辺りがhitするかもしれませんよ?

ということで、いよいよ明日にも10,000hit達成できそうです!
おそらくはお昼過ぎごろになるでしょうか【笑】

定点観測upしました。

Everyday Magic!

2008年4月7日 趣味
Everyday Magic!
買ってしまいました、パトT。
サンデー&マガジン創刊50周年×ユニクロのコラボTシャツにパトレイバーも選ばれたと知って、最近すっかりご無沙汰の店主も自己主張。ってどこに着ていくんだ【爆】夏のお祭りもお盆で無理だし
コナンやうる星に交じって、少年サンデー50周年を彩る錚々たるラインナップの中に『機動警察パトレイバー』が選ばれたのは、ファンながらちょっとびっくり。他にもサンデーを代表する名作はタッチとかいくらでもあるだろうし、ゆうきまさみの代表作ならあ〜るが選ばれてもよかったような。いくらアニメ化されて知名度が高いとはいえ。
でも、パトレイバーといえばしばしばアニメの方がオシイ監督の名前と一緒に引き合いに出される中、こうしてゆうきまさみのパトレイバーというのをバーンと前面に出してもらえたというのはコミックはとしては嬉しい限りです。それにマンガ批評本には結構出てるんだよね、ゆうきパトって。

そういや最近のめり込んでる『サイボーグ009』ですが、マガジン・サンデー両方で連載してたんですよね。掲載誌が10誌を超え、少女誌にも連載されていたゼロナイですが、実はこの2誌のライバルでもあるジャンプにも(月刊ですが)掲載されていたなんて、そんなマンガ他にあるでしょうか?
ですが本屋に関連本が無いかと探してみてもなかなか見つからないんですよね、石ノ森作品。手塚本はいくらでもあるのに。地元の図書館にはBJ全巻置いてあったのになんでゼロナイは無いんだよ!でも、こういう苦労はヲタクに開眼してからずっとつきまとっているような・・・ガンダムはあるのにパトは無い、北斗はあるのにCHは無い【泣】

==================================

閑話休題、Wikipediaをめぐってると結構勉強になります。当然のことですが。
日ごろ店主が漠然と思っていることに誰かがきちんとした名前をつけていたり。
この『エブリデイ・マジック』という概念もまたしかり。
「今・ここ」とは隔絶した一つの確立した世界を構築するハイ・ファンタジーの対極にある物語類型で、日常と変わらない世界の中にぽんと非日常のものが入り込んできて、それでどーしたこーした、という感じの話。
日本における代表的な例として藤子不二雄作品が挙げられてますが、確かにドラえもんなんてそんな感じ。のび太のいる(ちょっと古風な)日常の中、ドラちゃんだけが22世紀の超ハイテクネコ型ロボットだもん。あと、その後の影響という点でいえば『うる星やつら』が挙げられるかな。ラブコメというジャンルの中に『押しかけ不思議少女モノ』という類型を築いた功績は大きい、うむ。

こうしたドラえもん的押しかけ型とは違うものの、店主の好きな作品、書きたいと思っている世界はまさしくエブリデイ・マジックの世界。
パトレイバーは警察というこれ以上ないリアリスティックな世界にいきなり巨大ロボットを放り込んだ化学反応こそ物語の妙だったわけだし
CHにしても、そこに描かれている世界は我々と地続きに見えながら
(だからこそ『聖地・新宿詣で』なんてことに嬉々としていられるわけだが)
その中にスイーパーという非日常が入り込むことによってドラマが生まれるだけでなく、何気ない日常すらもドラマティックになっていく=妄想のいいネタになる、ということが言えるんじゃないでしょうか。
結局、心惹かれるのは日常なんですよね。
特にパトのロボットものとは思えないアンチ・ヒロイックな日常を見せつけられて以来。あれをさらに「ロボットがいるのに全然SFじゃない」にまで推し進めたのが『究極超人あ〜る』なのですが。
昔は店主も壮大な世界観のハイ・ファンタジーを志したことがありますよ。一つの世界の創造から破滅までを描く長大な叙事詩とか【爆】でも今は全然書く気しません、そういうの。キャラクターの日常の見えてこない話はダメなんですよ。異世界ものと言いつつ、モデルとなる時代や国の歴史的背景を必死で考証してますし。

サイボーグ009にハマり込んでしまい、当然パクリインスパイアされたネタをやりたくてウズウズしてるんですが、自分の与り知らぬところでサイボーグ化されてしまった主人公たちが、自分たちを改造した悪の組織に復讐を誓う、じゃなくて
試験体として組織(この場合は営利企業。しかし軍事転用の意欲は隠さず)の側に立ちながらも、それでも人間としての生を全うしようとする、という感じになりそうです。
とりあえずは、ジェンダー系でこれ抜きにサイボーグを語ることなかれ!な、ダナ・ハラウェイの『サイボーグ宣言』で理論武装してみるつもり。って全然ゼロナイとは関係なさそうですが【爆】

違いの判る女?

2007年10月6日 趣味
自称・声ヲタの店主のひそやかな楽しみはというと、アニメなり洋画の吹替えなりのキャストをその声からズバリと当てることですが
今朝の『マスターキートン』のチンピラ役はシゲさんでしたねw
でもまさかそのボスの黒幕がおやっさん(阪脩)だとは思わなかったが@パトファン【笑】

『声』だけでなく『音』の聞き分けも結構趣味です。
つまりBGMを聞いて、音楽は誰がやってるか見当をつけること。

今朝から始まった(そしてたまたま見ていた)『オーバン・スターレーサーズ』の音楽をやってるのがまさか岩崎琢氏だったとは・・・。つい最近まで『結界師』で毎週“聞いて”ました。というより店主にとってはAHの音楽をやってたという印象が強いです。
アクションシーンでかかる、細かくリズムを刻むストリングス(弦楽器)でぱっと判りました。というかOPですでに名前知ってたんですが【爆】
その他に聞き分けられるのが川井憲次P2以降はパーカッション&民族音楽風や世界の坂本龍一は4音目の沈み方で判る【爆】ポルノを手がけた本間昭光氏も、前ソロ聞いて一発で判りましたもの。そしてもちろん春畑道哉・・・といきたいんですが、この人はかなり作風が多彩ですよね。TUBE聞けば判ると思いますが【笑】でも特徴というより皮膚感覚で判ります。あと『泣きのギター』で。
こういうのは声優の声当てと一緒で、今まで聞いてきたストックの中からその特徴を抽出して識別するわけですが、つまり今までなぜか縁あってたくさんその作品を耳にしてきた作曲家しか判らないわけで【笑】それにしても岩崎さん、これで3作目だよ・・・。

こういう趣味の持ち主である店主が、ニコ@セクシーボイスアンドロボのように耳が特別いいかというとそういうわけでもなくて、映像でもやたらアニメの作画の出来不出来や作監の違いに目が行ってしまいます。
つまりはそういうどうでもいいような細かい違いを見つけては一人悦に入ってる、というのが趣味なんでしょう。あー趣味悪い!

拍手レス
10/5 20:57のお客様
ご指摘ありがとうございました!
早速修正しておきました。
パトの方は最近自分でもチェックしておりませんでしたので【爆】
ファイル動かしたときに紛れちゃったのかなぁ。

院生やりながらヲタクやるのは(というかむしろヲタクやりながら院生やるのは)いろいろ大変ですが、でも意外な接点があって面白いです。
院生として現代思想なんかに触れて思うのは、「ヲタクってのはポストモダンの実践なのではないか?」ということ。
ポストモダンといえば、一時、今の『萌え』のように意味の判らないままよく使われていたような言葉ですが、店主にも正しい定義は判りません。ただ、特徴をいろいろ並べていけば何となくのイメージはできるんじゃないでしょうか。イメージだけなら。

ポストモダンの特徴の一つとして挙げられるのが、現代はオリジナルなき時代であるというテーゼ。オリジナルが無いのならばどうするか。すでにあるものを切って貼って自分のものとして作り変えていくしかないんです。
『コラージュ』という言葉もまた美術用語を飛び越えてポストモダンの重要なキーワードになってます。
具体的にはどういうことかというと、たとえば例えが少し古いかもしれないけどヒップホップのDJ。あれもすでにあるレコードをスクラッチしたりなんかして「演奏」するわけだから。
また、映画『ムーランルージュ』もかなりポストモダンかも。普通、ミュージカル映画では『サウンド・オブ・ミュージック』では『エーデルワイス』や『マイ・フェイバリット・シング』のような印象深いオリジナルナンバーがありますが、『ムーランルージュ』だとユアン・マグレガーが『ユア・ソング』歌ってるんだもん!でも、オリジナルのインストは結構フィギュアなんかで使われてるらしいですね

そんなオリジナルなき時代の表現形式として挙げられるのが、店主もやってる二次創作なんじゃないでしょうか。だってそれは一から自分で作った設定で勝負せずに、すでにある物語を土台としているんですから。
そこではある意味、著作権というものは過去の遺物なのかもしれない。
それを如実に表しているのは、CHとAHをめぐる問題だといえます。
個人の才能に対してリスペクトを与える近代的著作権の考え方からすれば、AHは原作者がCHの続編を意図して描いた以上、それは誰が何と言おうとCHの続編ということになります。
しかし、現実はそうではなかった。何がCH的であって何がCH的ではないかを決定するのは原作者でも出版社でもなく、実はファンだった。その結果があの『パラレル宣言』だったわけです。
そしてAH自体が「原作者による二次創作」呼ばわりされ、数あるファンによる同人誌と同じレベルに引きずり降ろされてしまったのが現状じゃないでしょうか。
っていうか最近では原作者自らがコミケで自作のパロディ本作って売ってるご時世ですからね【苦笑】
CH二次創作でも、AHよりよっぽどCH的なものは結構ありますし。
そもそも、原作のCHそのものも北条センセ一人によって生み出されたものではなく、漫画家と二人三脚でダメ出ししながらアイデアを練り上げていった担当編集者、そして『読者アンケート至上主義』に代表されるファンもまた共同制作者であったはず。
おそらく今の北条センセは自分の好き勝手に描いてるんじゃないでしょうか。
しかしそれがCHを超えているかといったら・・・


もちろん著作権制度を否定するつもりはありません。
中国のパクリーランドには素直に腹が立ちました。
しかし、著作権は決して神聖にして犯すべきものではないんじゃないでしょうか。権利を持つ者は、誰のおかげでその地位にあぐらをかいていられるか、たまには胸に手を当てて考えてもらいたいものです。

拍手レス
6/5・23:43〜45 朱貴さま
一応、CH’という時間軸に入れようとすると
どうしてもヘタレになってしまうんですよね。
もちろんあの後のご想像はお任せしちゃってもよろしいのですが【笑】
>横浜〜新宿
わざわざNAVITIMEで検索してみました【爆】
有料道路で1時間ってとこです。

ついしん:昨日のバトン、やっぱりアンカーってことで。
    如何せん、ROM専の多い過疎ブログなもので【笑】

私はカメラ

2006年11月9日 趣味
くそっ、昨日から夜になるとサイトのほうがつながらない。
どうやらinfoseekのサーバーもしばらくそうなってるらしいのだが、Coolもinfoseek使ってるのだろうか?しかも今日はBBSまで【泣】

さて、miさまのレスつけててふと考え付いたことなのだが、
結構長そうなので改めて記事として。
感情移入というか、『視点』移入の対象が必要、というのは自分が物を書く側の人間であるからかもしれない。
普通、フィクションというのはどこかしら現実からずれた世界のお話だ。
その現実からずれた世界に読者を案内するためには案内役が必要だ。
案内役といえる登場人物の目を通して、読者はその世界を知ることになる。
つまり一人称小説における語り手キャラだが、それは必ずしも主人公というわけではない。『華麗なるギャツビー』は全編キャラウェイ青年の目を通して描かれるが、その主人公はタイトルロールでもある成り上がり者、ジェイ・ギャツビーなのだから。
その、読者にとっての『カメラ』となる人物の出来こそ物語に入り込む面白さを左右しているのではないだろうか。
まず、読者と情報を共有するにあたり、『カメラ』はその世界について無知でなければならない。無知であるからこそ情報を吸収し、それを通して読者に世界観を伝える役目を帯びているのだから。
また、無知すぎてもいけない。少なくとも、一般読者の知っていることを等しく知っていなければならない。そういう意味では良識ある常識人であることが望ましい。
その『カメラ』が未知の世界に飛び込んで、その世界を知り、いろんな壁にぶつかり成長していくさまを「がんばれ」と応援する。それこそが初歩且つ王道の物語の楽しみ方だといえる。
上級者になると、カメラの被写体でしかない脇役にカメラを持たせてその内面をいろいろ邪推する、というものもあるのだが、それはさておき。
CHでは見事に香が『カメラ』の役を引き受けているように思う。
彼女は一応普通の女の子で、そういう点では一般読者と大した違いはない。
香の登場しない、出てても大して活躍しないエピソードは多いながらも
我々読者は彼女の目を、彼女の聞く撩の言葉を通してCH世界の多くを得ているのではないか、と思うのはやっぱり最初にアニメに触れたとき、彼女に憧れを抱いたからだろうか。

拍手レス
13:16〜20 miさま
早速投稿ブツを読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
ベタベタしすぎるとあの二人じゃないような気がして、
撩と香は一生手探りでいてほしいなと思う鬼です。
その方がかえって一生ときめいていられるんじゃないかと【爆】
“You are my sunshine”って歌の文句にもありますよね♪

『anan』だったかな。雑誌でマンガ特集をやってたのでパラパラめくってみたら少女マンガや、「少女マンガを卒業した大人の女性」向けのいわばヤングアダルト女性マンガばかりだった。
最近の少女マンガ復活はむしろこの手の雑誌が支えているよな。
『NANA』然り『のだめ』然り。
しかし少女マンガは最近とんとご無沙汰だ。
何故って。接点がないのだ。

雑誌の特集では大人の女性向けということで、ことさらの読者の共感を煽るような書き方をしていた。確かに少女マンガというのは乙女の心を共感させてナンボだ。
そこに描かれるのはどこにでもいるような女の子、それがよくあるシチュエーションで恋に落ち、誰でも経験するような平凡な悩みを抱く。
(余りにも短絡的な要約だったらゴメンナサイ。最近少女マンガ読んでないもので)
いわば『等身大』の姿に少女たちは感情移入するわけだが
店主自身にとってそれは等身大でも何でもなかった。むしろ異文化だったのだから。
だからあゆの歌もウタダも心に響かない。ただ「ふぅん」と聞き流すだけだ。

この手の感情移入の正反対に位置するのが、最近はやりのBLらしい。
そこには感情を移入させようにも、させる女の子キャラがいないのだ。
『腐女子化する世界―東池袋のオタク女子たち』によれば、実生活でそこそこの恋愛もしている彼女たちはさらに架空世界で恋愛するのは面倒と
客観的にロマンスを消費できるBLに走るそうだ。
だが、感情移入こそ物語を楽しむカギだと思う店主(彼氏いない歴二十ン年)にとって、それじゃ余りにもつまらなすぎるんじゃないのかと思うのだが。
研究対象として読むのならともかく。

さて、そういった腐女子の格好のエサとなる少年マンガだが
特にWJ辺りは最近は結構現実離れした話ばっかりになっているような気がするのだが。少年海賊然り少年忍者然り。一見リアルな世界を描いているように見えても、そこを動き回る登場人物はかなり現実離れしていると思うのだが。
むしろ店主が惹かれるのは架空世界にぶっ飛んだ少年マンガではなく
ひたすら現実(店主にとっての異世界)に寄り添った少女マンガではなく
現実+α、という微妙な匙加減なのだ。
パト然り、CH然り。
警察がロボットを運用してるとか、新宿に凄腕(にして超女好き)のスイーパーがいるという設定自体に現実味はなくても、そこに描かれている人物はもしかしたら自分と同じ空気を吸っているかもしれないというリアリティに溢れている。そこは日常の裏側の異世界、もしかしたら自分にも手の届くかもしれないと思わせるワンダーランド。
だから人はそこに無理なく感情を移入させ、現実よりちょっと刺激的な日常を味わうことができるのだ。

拍手レス
12:37〜38 miさま
久しぶりの拍手コメント、ありがとうございますm(_ _)m
そうです。『even if...』は「もし香の父親が殺人犯として死ぬことがなければ」という設定のお話。なのでさゆりさんが「お姉ちゃん」だったりします。
でも、もし槇村に会ったときは撩とは違った、まるで肉親のような懐かしさを感じるのかもしれませんね。

しばらく空拍手ばっかだと凹んでおりましたが、コメントしようにも新作書かないとコメントしようがないですわな。お礼駄文も変えてないですし。
(他ジャンル書くのにはエネルギーが要るのよ)
『セーラー服と機関銃』第2話見て、CH完全版12,13巻(銀狐vs香)読んで就寝。そしてGyaOで無印37,38話『新宿仁義一直線 着流し美人は弟子志願』前後編なんて幸せなハシゴ。いやぁ、香ちゃんの仁義切りかわいかったな♪
そんなことでにやけてるうちに、ふと『萌え』とは何たるかについてまた一つひらめいた。
『萌え』の対象というのは実は交換可能なのではないか?
まさか大学のシンポジウムでこんなことを聞くとは思わなかったが、あるBL愛読者が言うには、キャラクターに萌えるのではなく関係性に萌えるのだという。
店主の好きな『ツンデレ』も『同僚以上恋人未満』も関係性を規定する萌え属性だ。
つまり、この関係性のフォーマットにのっとってさえいれば、CHにもパトにも踊る大捜査線にも同じように萌えられるという、そういうこと。
それはキャラ萌えな♂ヲタにも当てはまること。彼らは『猫耳』や『メイド服』というように自らの萌え属性を細分化し、数あるキャラクターに己の萌え属性を見出して愛でている(んだと思う)。
では、そのように萌えの対象が交換可能だというなら、キャラに対してヲタクはone&onlyな愛情を注ぎえるのだろうか?
名作と呼べる作品においてはキャラクターは決して交換可能な萌えの対象ではない。いくら萌え属性が細分化を極めようと、それだけでは網目からこぼれ落ちてしまう魅力というのが確かに存在する。
所詮交換可能な萌えというのは、一握りの名作とそのエピゴーネンであり
ヲタクは飽き足りない萌えをその模造品に見出しているのに過ぎないのではないだろうか。
店主の好きなアニメやドラマは大抵メインキャラの男女比が半々なのに気がついた。厳密に言えば3:2くらいだろうか。この数字は実社会における女性の進出比率、つまりまだまだ半分とまでは行かないけれどそれに近いところまでは来ている、というのを反映しているのではないか。
『戦闘美少女の精神分析』でパトが紅一点系に分類されているのには驚いたが、
パトレイバーには主役の野明だけでなく香貫花クランシー、熊耳武緒、そして南雲しのぶという個性豊かな女性キャラが揃っているではないか。
この女性比率の高さはロボットもののなかでも注目すべきだろう。
そしてそれぞれ、太田とくっつけるのは香貫花かおたけさんかという違いはあれど、男性パートナーとカップリングが成立している。
店主の場合はコミック版から入ったこともあり、太田×熊耳推奨です。
おたけさんの傷ついた心を救うには功ちゃんの単純さくらいがちょうどいいはず(?)

その次にハマったケイゾクではやや三角関係的様相を呈しながらも
メインのマヤシバだけでなくマダアヤ(斑目×彩)というカップリングも並行して成り立っている。
そしてCHでは撩には香、海坊主には美樹、ミックには結局かずえ、
死んじゃったけど槇村には冴子と最終的には綺麗にカップリングが整理された。
そして麗香やかすみなど、逆に女性余りの傾向をみせているのは面白い。
もともと“パートナー以上恋人未満”な男女ペア好きの群像劇好きなので
結果的にこういう複数のカップリングが絡み合うような展開が好みとなるのだが
この場合、メインである男女の恋人未満な関係、そして男同士のホモソーシャルな関係性はオフィシャルで描けても
女性同士の関係性ってなかなか描ききれていないような気がする。
それはやはり彼女たちが“紅一点”を引きずっているから、“紅一点”がただ単に“紅二点”であり“紅三点”になっただけだからかもしれない。
それでもパトでは『あんたの勝ち!』やコミック版でのおたけさんの押しかけ同居などでその辺の関係を描こうと試みており
(ちなみに二次創作においては野明がしのぶさんをどう思ってるのか、
しのぶさんが野明をどう考えているか、あたりがツボ)
ケイゾクでは柴田と彩が、単に真山を好きな恋敵だけではない関係性を示しているといえる。
そしてCHでは、例えば香と美樹の信頼関係などにおいてかなり成功して描けていると思う。(これがAHではまったく消えてしまうのだが;泣)
テクニカルタームで言えば『シスターフッド』というのだろうか。
二次創作、オリジナル問わず店主の創作において結構な関心ごとの一つだ。
男女や男同士の絆だけでなく、このような女同士の絆や
さらに斜めの関係、つまりカップリング外での“男と女”ではない異性間の関係
(ex.たいちょとのあ、冴+冴)という多様なネットワークで成り立っている世界というのを描いていけたらと思っている。
例えばCH二次創作で香と美樹の“姉妹弟子”コンビ(だって両方とも師匠は海坊主なんだから)もいいのだが、女性コンビで一番読んでみたいのは
実は香&冴子だったりする。
でもこの二人、原作では(特に初期)かなり反目しているというか実際のところは香が一方的に冴子を毛嫌いしているところがあるのだが
この二人の対立関係はまさに「女の敵は女」を体現していると思う。
古代ローマから綿々と続く「分断して統治せよ」じゃないが、男たちは女を“外の女”“内の女”に分断して反目させて支配してきた。
本当は「女の敵は男」なのだが、香と冴子、このかなり毛色の違う二人の女性のコンビネーションはかなり面白いものになりそうだ。
ウチの場合は冴子にはちゃんと槇ちゃんがついているので、“義理の姉妹”な二人のコラボが見られそうだ。
でも、そんな店主の懸念からも判るように女同士の関係ってそれぞれ別にステディな男性がいないと成り立ち得ないというのが難点である。
さらに一歩踏み込んで「男を共有する関係」というかなり攪乱的な選択肢もありうるのだが、少女漫画的ロマンティックラヴ・イデオロギーにどっぷり使ってしまった店主にはまず描けない世界だ。
だが、「物わかりのいい正妻&愛人」という一見男にとって都合のいい幻想のような関係を通じて、そんな男の浅はかさを笑うような連帯も可能だと思う。
夏休みだというのにほぼ全精力をCH二次創作に傾けている現状に、これでいいのかと反省し将来のことにちょびっとだけ思いを馳せてみた。
『萌えを語れる沙翁学者』ってのもありなんじゃないか?と楽天的に思えたのはこの本を読んだからかもしれない。『空騒ぎ』なんてツンデレ話だし。
しかし『精神分析』と書名に付くだけあって結構難解かもしれない。フロイトやらラカンやらが出てくるわ出てくるわ。ラカンとなると学部のときに少しだけ教わったが結局何もわからなかったという思い出がある。だが、実際にこの本を読んでみて、判らなかったなりにもラカンを学んでいてよかったと思った。T教授ありがとうございました。

といってもこの本で語られている戦闘美少女に萌える心理はあくまで♂ヲタクのものであって、幼少期に戦闘美少女によって自己形成した後、幾許かのブランクを経て再び彼女たちに萌えた♀ヲタはあくまで範囲外だ。
しかし♂ヲタの視点に寄り添うことによって、今までヲタクマーケットで店主が感じていた違和感が多少なりとも明らかになったのかもしれない。
ところで、店主の愛でる『戦闘美少女』槇村香が戦闘美少女にカテゴライズされうるかは微妙なところかもしれないが、少年漫画にしては例外的にキャラの平均年齢が高い(主役の冴羽撩も20代後半〜30台とおぼしき)中で、まだ20歳をすぎたくらいの香は相対的に“少女”だし、彼女のハンマーやトラップと並ぶ武器である重火器を担いだ姿は『セーラー服と機関銃』から脈々と続く戦闘美少女のアイコンの系譜に連なるイメージなのではないか、ということで勝手に認定。
そのような戦闘美少女について筆者は、アメコミなどの戦う(大人の)ヒロインと対比して「トラウマを持たない=戦う理由をもたない空虚な存在」だと定義づけ。その典型例として例示されてるのがエヴァの綾波レイだが、店主の身近な例でいえば『起動警察パトレイバー』の泉野明だろうか。確かに彼女がレイバーに載って戦う理由はかなり薄っぺらだ。そして男性社会での敗残者である南雲しのぶ、恋愛でのトラウマを抱える熊耳武緒に比べて何と無邪気なことか。
しかしCHにおいて、このような一見「トラウマを持たない」ヒロインに「兄の死」、そして「養子である負い目」といったトラウマを付与した当時の北条司のキャラクター造形はかなり巧みだといえる。それによって彼女は類型を離れた深みと、同性の感情移入に値するキャラクターを得たのではないだろうか。
しかし、AHでは見事に女性キャラクターの造形に失敗している。新たなヒロインたるシャンインはまさに「空虚」なキャラ、確かに彼女はかつて組織の殺し屋だったというトラウマを抱えているがそのトラウマこそ彼女の抱えている「空虚」そのものなのではないだろうか。
確かに♂ヲタはヒロインの空虚さに虚構性を見出し、そこに欲望(つまり『萌え』)を感じるのかもしれない。しかし♀ヲタにとってヒロインは対象ではなくあくまで感情移入する主体なのだ、少なくとも店主にとって。空っぽのキャラクターに果たして感情移入できるだろうか。その空虚さの裏にドラマがなくてはならない。そして空虚さを埋める探求がなくてはならない。でなければアニメや漫画はエロのないポルノグラフィでしかないのだから。

ということで青年の主張はこのくらいにして、呼んでみていろいろヲタクの精神病理的に性別問わず肯ける箇所があった。やや細部に拘泥しすぎている間はあるが、萌えは細部に宿るものだから【爆】
ヲタク≒コレクターという点では店主はヲタクとはいえないかもしれない(が、血眼になってCH完全版コンプリートを目指している最中;爆)
アニメ、漫画ヲタの所有の方法の一つが二次創作という指摘には思い切り膝を打ち鳴らしてしまった。
また、気に入らない結末に対するヲタクなりの抵抗としての二次創作、という例でまたしてもエヴァが挙げられていたが、それはパトでもCHでも同じことが言える。
(って何で店主ってば作り手に虐待された作品にばかり萌えるのだろうか?)
そしてそれと相対する例として『ミザリー』の狂気を挙げていたが
その手があったか」とほくそ笑むCHファンは店主だけではないはず。
やれるもんなら作者拉致して監禁して、CHの続編書かせたいものだわ、CHファン一致団結して【爆】

お子ネタ万歳!

2006年6月21日 趣味
今週のAHがアレだったもんだから、今日は“仕事”もしないでひたすらCHサイトをあさってました。しかもお子ネタを重点的に【笑】
自作の『CHお子ネタリンク』が大活躍してくれました。
CHに限らず、店主お子ネタは大好物です。
パトでも連載ブツ以外にもひそかに『後藤さんちの家庭の事情』としてシリーズ化をたくらんでますし
その他のジャンルでも、二次創作サイトにお子様ネタがあると狂喜乱舞して食い入ってしまいます。(ケイゾクにもあってびっくり)

ではなぜ店主がこれほどまでにお子ネタに心惹かれるかというと・・・
あのにっくき『冴子の夢』と変わらないかもしれない。
つまりそれが判りやすいベタな幸せだから。
保守的なオバサンのように「女の幸せは結婚して子供を生むこと」なんて言うつもりはありません。
でも子供というのは、二人が結ばれて
(というのも店主の萌えCPはオフィシャルじゃ清い二人ばっか)
その結果授かった愛の結晶。これ以上幸せな未来を象徴するものはありません。つまりは『記号』に過ぎないのですが。

そしてお子ネタを書くという行為には更なる幸せが。
店主の場合、大抵キャラの誰かに自分自身を仮託して書いてるわけなんですが
お子ネタの場合十中八九お子様に感情移入しています。
つまりお子ネタを書くということは二人の幸せな姿を一番近いところから見守るということ。
ついでにネタは必然的にホームドラマとなりますので、
店主のような両親同居の場合日常にゴロゴロ。
それだけでリアル毎日がちょっとだけ楽しくなります。
なので、逆に「シャンイン邪魔!そこはあたしのポジションなのっ」と思っているお子ネタスキーも多いと思いますが(あたしだけ?)

もちろん、CHの場合は他のCPと比べて特殊なので
無邪気にお子ネタに賛同できないというご意見も判ります。
でもパラレルと称してあそこまでやられちゃこっちも黙っちゃいられないでしょう。
ある意味お子様ネタは「もしあの二人に子供ができたら」というifの世界であり
そのifの必然性まで疑ってかかっちゃ面白くないはず。
血と硝煙の渦巻く世界でおままごとな幸せなど追及していられないかもしれませんが、だからこそ危険と背中あわせの儚いながらも確かな幸せを
最もよく表しえる世界なんじゃないでしょうかね。
今週の『医龍』、やっぱり伊集院クンは二重スパイでしたか。
だまされた!というより「こうあってほしい」50%、「ドラマ的にこうだろう」50%で早い話が先が読めてたんですが、
本性表す際の眼鏡の外しっぷりにおねーさん、萌えてしまいました。
小池徹平くん、ちゃんと度付きの眼鏡してるあたりが何となく好感持てます。
(普段はコンタクトなんでしょうか?)

店主は眼鏡ユーザーなんで、逆に『眼鏡』は店主の萌え属性の中にありません。
書く方としては眼鏡という属性に何らかの意味をこめることはありますが
読み手としてはさほど眼鏡にこだわってません。
好きでかけている、というようなものでもないのだし。
(もちろんコンタクト、という選択肢もあるのですが)
自分自身『眼鏡っ娘』としてひとつの型にはめられてなるもんか!という反発もありますし。
そんなアンチ『眼鏡萌え』な店主として好感持てるのはやっぱパトですね。
特にゆうき氏も眼鏡ユーザーということもあると思いますが
味方に1人、敵キャラに3人(!)と眼鏡キャラを多数配置しながら
そのいずれも眼鏡属性にこだわらず描き分けているのはさすがです。

閑話休題、
眼鏡キャラの見せ場といえばやっぱり外す瞬間ですよね。
今回の『医龍』だけに限らず、眼鏡キャラはここぞという場面で眼鏡を脱ぎ捨てます。
『名探偵コナン』でもOPなどではコナンが眼鏡外して鋭い眼差しを見せていますし(本編ではめったに出てきませんね)
そういや今週のAHでも早川のおっさん、眼鏡してなかったな。
もちろん店主がドラマ見ながら真っ先に思い出したのは、槇村の
「黙れ!貴様らが殺しあうのは勝手だ!
だが俺の身内に手を出したときは命はないと思え!!」

でした。
眼鏡を外すことによって、今まで隠されていた素顔が明らかになり
それによって本気度バロメーターがぐんと上がる
、ということです。
って結構店主も眼鏡萌え?
それプラス、外したときの意外性でしょうか。
これこそ店主が眼鏡をかけ続けている最大の理由かもしれない。
普段かけてるからこそ、外したときに驚きの声があがる。
これが『眼鏡を外したら実は美人』というエイドリアン以来のお約束【笑】ならなおさら。ってことは結構ワールドワイドなお約束なのね
店主の場合は単なる希少価値なんでしょうが、これがあるからやめられないのよ。

店主の萌え属性としてはむしろ『パートタイム眼鏡
つまり普段かけてないキャラが何らかの理由でかけてると萌え、なんです。
なんで無印CHの#45、『不埒な好青年』なスーツ&眼鏡リョウは店主の思いっきりツボでした。
そんなわけでAHの老眼設定に、CHファンとしてあるまじきことに
ひそかに萌えてしまったりして。
だって『リーディンググラス』というのはパートタイム眼鏡の王道ですもん!
前の日記(PS)の続きから。

考えて見れば店主の惚れたカップリングはみなツンデレだった。
シティーハンターの槇村香にとどまらず
機動警察パトレイバーの南雲しのぶ隊長然り
踊る大捜査線の恩田すみれ然り。

もともとはヲタク用語だったはずが、昨年AERAで紹介されると
今やこの手のテクニカルタームの中で一二を争う知名度となったであろう『ツンデレ』。
ここでまず『ツンデレ』の定義を簡単に説明すると、
ツンツンデレデレの略、第三者がいる前ではツンツンしているのだが
二人っきりになるとデレデレ、というのが一般的な説明だが
彼女たちが相方の前ではスイッチの入ったようにデレデレとなるのかというと、そうではない。
ここから先は店主の個人的な意見だが、
普段はツンツンしているのだが←これは概略と一緒
二人っきりになったとき、ふとした瞬間に弱さみたいなものを垣間見せる、
そういう関係が『ツンデレ』だと思います。
だからツンデレラというのは基本的に素直じゃないんです、強がりなんです。
でも恋人の前だけではありのままの自分になれるんです。
ちなみに『ツンデレラ』という呼称は「ツンデレ萌えな人」という意味で使われたりしますが、
店主は「ツンデレなキャラ♀」として使ってます。
つまりはツンデレラ姫ということで(笑)

しかしツンデレキャラは女性だけではない、
『ツンデレ王子』というべきキャラも確かに存在してます。
その典型例はケイゾクの真山徹警部補でしょう。
ということでマヤシバもツンデレ決定
『ツンデレラ』に対して『Prince Uncharming』ブアイソ王子とでもいいましょうか
←Prince Charming(シンデレラの王子様)
彼らは基本的に無愛想であえて人に嫌われるような態度で接しています。
しかしそれは他者との距離をうまく取れないからなのです。
ツンデレ王子は不器用なのです。
となると結構当てはまる萌えキャラは多い。斎藤八雲(心霊探偵八雲)然り、ブラックジャック然り。
篠原遊馬(機動警察パトレイバー)も多少その気がありそうだ。

店主が今までオヤジフェチだ年の差スキーだと主張してきても
あらゆる萌えカップリングがその範疇に当てはまるとは限らない。
しかし、ツンデレだけはそのすべてにぴったり当てはまるのだ。
恐るべし、シティーハンターの幼児体験。
しかもリョウも香もお互い素直じゃない、ツンデレ同士ともいうべきカップルだ。
冴子だって、槇村が生きていたときには彼の前では可愛い女でいられただろうに。
(だからAH設定の「顔を合わせばケンカばかり」はちょっと違和感)
それだけではなく、たとえば名探偵コナンの場合
二次創作で原作カプだけでもかなりのジャンルがあるが
店主が惹かれるのはコゴエリやら平次×和葉やら高木×佐藤やら
(職場恋愛はツンデレ指数高し)
ツンデレカップルばかり。主人公カップルはいまいち素直すぎて萌えないんだよな。

さて、ツンデレというのは何も二次元や三次元の話だけではない。
一次元、つまり実体を持たない『歌』というジャンルでもツンデレは存在する。
たとえばTUBEの『女神たちよそっとおやすみ』は
負けず嫌いなのはわかるけれど せめて僕の前では素顔のまま
泣いてもいいよ 無理することはないよ

なんてかなりツンデレだと思うのですが。
非ヲタなTUBERの皆様ごめんなさいm(_ _)m
同じようなテーマの『愛の歌』もやっぱりツンデレだと思う。
また、多少アングルは異なるが『抱きしめてAgain』の
好きにすればいいと いつも笑って許してくれた人
なぜかとても 物足りなく思えたあの日
今ならわかるの

もかなりツンデレな歌詞だと思いませんか?

といってもこの手の「素直になれない」ゆえにすれ違う恋心を唄った歌はいくらでもある、いわば『定番』なはず。
そういう意味では『ツンデレ』の発見は新大陸同様に『再発見』だったのではないか。
つまり、すでにフィクションの一つのスタイルとして存在していたこの手のロマンスに
『ツンデレ』という新たな名前を付けただけのことではないだろうか。
そういう点ではシェイクスピアの『恋のから騒ぎ』も
ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』も
ツンデレつっちゃあツンデレなのだから。
ども、最近日記でやたら萌え萌え言ってる店主です。
以前日記で「萌え」って言葉はあまり好きじゃないと言っていた節操なしですが〈http://diarynote.jp/d/49546/20040823.html
じゃあ萌えの定義は?と素人さんに言われても
サッカーのオフサイド並みに説明が面倒くさい。
そういうとき店主はバットマン宮本だと言います。別にさっきサッカーのことを持ち出したからじゃないですが
突然ですが店主、サッカー選手の中では日本代表のキャプテン、
『ツネ様』こと宮本恒靖選手が好きです。
なんて言うと面食いと思われても仕方のないことなんですが。
そのツネ様に惚れたのは2002年のW杯、なんて言うとミーハーがバレバレで。
そのとき、ツネ様はというと直前合宿で骨折した鼻骨をカバーするために黒いマスクをつけて試合に出てました。だからついたあだ名がバットマン。
その怪傑ゾロかと見紛うアナクロな仮面姿
そしてそれ以上に仮面を取ったらイケメンというお約束萌えてしまいました。
つまり、美しい容貌の持ち主であるにもかかわらず、その美貌を仮面に隠すという物語性に。
・・・ってこれって典型的な『眼鏡っ娘萌え』の世界じゃない?
素で眼鏡っ娘な店主は今さら眼鏡クン萌えなんてしないんですが

つまり『萌え』とはこのような物語性だと思うんです。
単なる属性の下に隠されているキャラクターの秘められた内面にヲタクは『萌える』のではないでしょうか。
そういう点では日本のマンガ・アニメというのは外見的特徴が即キャラクターの性格設定に結びつく、つまり『記号化』してるともいえますわな。
たとえばショートカットやポニーテールは「活発、勝気、男勝り」という属性と結びつきますし、
店主は『傷萌え』という傾向があるんですが、傷跡っていうのは文字通りトラウマ(傷)を可視化させるものでもある。
だからヲタクはキャラの外見を、そんじょそこらの男が「長い髪の女性が好き」みたいな単純な趣味思考で語っているのではないのである、たぶん。

サッカー選手・宮本恒靖は萌えの対象ではない。
しかし『バットマン宮本』は仮面萌えといえるのではないか。

こういった図像学は現代日本のサブカルチャーに限ったことではない。
描かれたものの中に意味を読み取ろうとする試みは、たとえばルネサンスの『寓意画』などにも現れてくる。
つまり『ダビンチ・コード』の世界ですな。
なんだか話がワールドワイドになってしまったが。

日記内を検索