世田谷美術館へ『花森安治の仕事』展を見に行ってきました。
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html
花森安治といえば雑誌『暮しの手帖』の創刊に携わり
編集のみならず表紙等の装画、レイアウト、広告デザインまで
手がけた伝説的編集者、というのは朝ドラで知った方も多いはず。
なので『とと姉ちゃん』見ていけばよかったなぁと少々後悔【苦笑】

でも今なぜ花森安治なのかというと、朝ドラ効果もあるでしょうけど
最近、雑誌やネットに「丁寧な暮らし」という言葉が
見られない日は無いほどですが、その結果
『暮しの手帖』が一周回って実は最先端なのかも。
といってもそこで半世紀貫かれている「丁寧さ」というのは
最近の趣味嗜好的な「丁寧さ」などではなく
電子レンジも全自動洗濯機も、もちろんルンバも無かった頃の
やむにやまれぬ「丁寧さ」ではあるのでしょうけど。

といっても店主は“丁寧”に暮らせるほど暇も余裕もありませんけど
会場に展示されている雑誌のページを読みながら
「エア丁寧な暮らし」【爆】を妄想するだけでも楽しいものがありますし
自分に代わって物語世界でそういう暮しを描くこともやぶさかではない【笑】
なので会場を出た途端、暮しの手帖社の本を
片っ端から読みたくなりましたw
とりあえずは今、店頭に出ている『暮しの手帖』から。

展覧会では花森のキャリアを戦前から詳しく紹介していますが
彼が当時、大政翼賛会で宣伝に携わっていたというのは
知っている人は知っている話。その頃彼が制作に関わった
ポスターも展示されていましたけれど
簡潔な明朝体、余白を効果的に活かしたレイアウトといった
『暮しの手帖』広告でおなじみの“花森節”が既に。
   そしてそれが戦後デザインの地下水脈的に受け継がれ
   突如として噴出したのがエヴァ、というのは穿ち過ぎか【苦笑】

しかも、それ以前から生活雑誌の編集を務め
戦時中も銃後の節約を呼びかけるポスターを制作、
そう考えると「暮し」という側面においては戦前・戦後というのは
それほど断絶したものではないのかも、と思ったのは
最近、森友学園などでかまびすしいのもあるような。
そりゃ灯火統制などは終戦を期に無くなりますが
食糧難や焼け野原は8月14日も16日も変わりはなかったはず。

ただ一方で花森は晩年、朝ドラでも描かれていたように
戦時中の生活の記録にも注力していくのですが
『暮しの手帖』に掲載された彼の一文
「見よ僕ら一銭五厘の旗」(「銭」は正しくは右側だけ)を
教育勅語肯定派に読ませたいと思ったのは店主だけでしょうか。
もちろん論点は微妙にずれていますが、ずれているからこそ
それをどう自分の言葉で埋めていくのかを聞いてみたいような。

――花森安治の中で、戦前/戦後というのは
断絶だったのだろうか、それとも連続だったのか
それが最晩年までの彼の仕事を追ってきた感想でした。
終戦直後の物の無い時代から復興、高度成長
そしてその歪みが現れたオイルショックと公害といった
戦後社会を描き、自ら形作ったそのデザイン手法は
既に戦前にはっきり形に現れていたもの。
端切れを縫い合わせて作られた『一銭五厘の旗』と
同じ展示室に置かれていた彼愛用の机は
実は大政翼賛会当時から使っていたもの
というのが何やら象徴的。

「戦後レジームからの脱却」なんて言葉が一時期言われていましたけれど
戦前/戦後の清算というのは、そのどちらかを全否定するのではなく
その一つひとつを棚下ろしして、残すべきものは残し
捨て去るべきものは捨てるというのを細かく仕分けしていくことでしか
できないんじゃないか、というのは幼稚で安易な解決策でしょうか。
教育勅語は個人的には如何なものかと思いますけれど
……昭和モダン信者としては、あの時代そのものを
完全否定できないのだよ【泣】

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併せて、世田谷美術館では開館30周年記念として
昨年からミュージアムコレクション『ぜんぶ1986年』も開催中。
やっぱりこの辺の年代は気になってしまう店主
ついでにほいほい観賞。
当時まだ5歳でその頃のことはあまり覚えていないのだけど
『天空の城ラピュタ』公開というのはおぼろげに記憶が。
CHはアニメ化以前ではありましたが当然連載中
そしてTUBE的には『シーズン・イン・ザ・サン』の年♪

その年制作の現代美術が展示されていたわけですが
横尾忠則の絵画なども置いてありましたけど
やっぱり現代アートはその頃からよく判らない【苦笑】
でも、31年前のリアルタイムな“現代”を目撃するというのも
CH書きとしてなかなか貴重な経験だったのかも。

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