麒麟、駆け抜ける

2021年2月8日 TV
といっても完全コンプというわけではなくて
ところどころ見逃した回もありましたが
(最終回前2話は仕事で見られず;泣)
初回から追い続けていました大河ドラマ
『麒麟がくる』無事最後を見届けてまいりました。
なのに……なんで当日も仕事なんだ~~~ッッ!!!
なので、今までは見られなかった回はスルーでしたが
今回ばかりはプラスで追い麒麟と相成りました。

さて、大河ドラマ好きには大きく分けて
レッドオーシャン派ブルーオーシャン派
二つに分かれると言えるのではないでしょうか。
レッドオーシャンの方がおそらく大多数
主に幕末や戦国、とくに三英傑ものを好み
本能寺の変のような定番シーンの
事細かな演出や解釈に目を向けるタイプ。
一方のブルーオーシャン派
そういう手垢のついたド定番の
小手先の違いにこだわるよりは
今まで知らなかった歴史を見せてほしいタイプ
好きな時代は古代や中世、戦国なら地方大名で
「早雲やらんか」とか「長宗我部ははまだか」とか
言ってる……って、はい店主のことです【笑】

そんなわけで、2020年の主役は光秀と聞いたときは
正直、見る気はしませんでした。
三英傑を主役にするにはそろそろ飽きが来たので
その部下やライバルや姪っ子を主役に据え
周辺の視点から彼らを描こうというのが
最近の戦国大河のトレンドでしたが、
それもとうとうネタが尽きての明智光秀かと。
でも初回、たまたま休みだったので見てみたら
――その予想は思いきり覆りました。
いきなり松永久秀が登場するわ
足利将軍とそのご家来衆が出てくるわ
このドラマの舞台は「戦国時代」ではなく
「室町時代末期」なのだと気づかされました
そして、これこそ店主の見たかった大河だと。

確かに、今までの三英傑大河が取りこぼしていたものを
丁寧に拾い集めていく作品だったと思います。
序盤にじっくり描いた美濃の国内情勢も
今まではもっぱら対岸の尾張から
見えていた景色だけでしたし、その次の越前編では
祝・朝倉義景、『信長―KING OF ZIPANGU』以来の登場!
同盟相手の浅井長政はお市や三姉妹絡みで
信長ネタにはほぼ皆勤でしたが、朝倉の方は
地図やセリフで触れられるだけか、下手すりゃ
ドクロのみのご出演【泣】
それがちゃんと顔出しでの登場というのは
福井の宿願が一つ叶ったということでは。
そして信長と組んだ後もそっちに深入りはせず
幕府内部の権力抗争だったり
大和などの畿内情勢だったり
世俗権力としての比叡山だったり
(これを描かないと焼き討ちが正当化できない)
それまでの大河ドラマの空白を
塗りつぶしていくドラマだったのでは。

その代わり、小谷城とか長篠とか
過去の大河でさんざんやって来たのは
潔く敢えてのスルーだったかと
特に近年の大河で取り上げたものはなおさら。
松永と違って荒木村重の箇所は
さらっと流されてしまったのも
「詳しくは『軍師官兵衛』で」ってことだろうし
家康が妻と長男のことを打ち明けたときは
「ああっ、瀬名さまっ……【涙】」となりましたし
ただ、それらは大河へヴィーユーザーにとっては
サービスになるかもしれないけど
これが初大河という視聴者にとっては
全くの不親切なんですよね【泣】
これらは日本のエンタメ全体に共通する
大問題だと考えていますが
ビギナーの足の踏み入れやすさってのも
もう少し考えないといけないのかなぁと。

そういう意味では『麒麟がくる』は
少々玄人向けのドラマだったような……
視聴者として一番向いてないのが
総ての出来事がカメラの前で起こっていないと
気が済まないというようなタイプ。
これはむしろ、シーンとシーンの間で
登場人物がどう考え、どう動いているのかを
想像して楽しむドラマなのではと思うのですよ。
荒木や長宗我部と光秀の関係も
言及するならちゃんと描写しろと
お怒りになる向きもあるようですが
店主の場合「お、公式設定キター!」と
ドラマでは描かれなかった裏側を
嬉々として妄想して補完したりしています。
作中ではいまいち出番の少なかった
不運な長女・お岸もきっと嫁ぎ先で
さほど齢の変わらぬ姑のおだし様に
親切にしてもらっていたのでは(官兵衛コラボ)
とか、不運にして離縁された後、ようやく
左馬助と短いながらも幸福な時間を
過ごせたのではないかとか……
何なら“さまきし”の初恋物語を
短編程度なら書き上げる自信がありますのでw

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長々と書きつづってしまいましたが
ようやく最終回の感想をば。
本能寺の変の黒幕について
朝廷やら公方様やら容疑者を
片っ端から匂わせてきましたが
結局おっさんずラブのもつれの無理心中説
ってことでよろしいでしょうか?【爆】
決闘のエロティシズムというのを
さんざんシティーハンターなどで
叩き込まれてきたせいもありますが、
それがビシバシ匂い立つような本能寺でしたね。
愛し合えない男と男は殺し合うしかないのよ
それは男同士の愛の行為なのよ【涙】
そんな高揚感を染谷信長はビンビン発してました
骸となった信長も、穏やかな
そしてどことなく恍惚とした死に顔でしたし
一方の光秀も、灰燼と化した本能寺を前にして
「ようやく眠らせてあげられる……」と
思っていたのかも。

最終回が本能寺の変で大丈夫なの!?
というような声もありましたけど、このドラマ全体が
光秀と信長のラヴストーリー【語弊】と捉えると
本能寺こそがクライマックスにしてラストであり
その後日談に1話を割くのは
蛇足以外の何物でもないのではないかと。
ただでさえ大河ドラマの終盤は老年期と
太平の世で緩みがちで、それを回避しようと
主役選びから工夫してるんでしょうから
(『新撰組!』ですでに三谷氏が言ってたような)
尺の面でも、ドラマのトーンの面でも
山崎の戦いが想像できなかったので
ナレ天王山もそう考えれば納得なんですよね。
そして生存説、さらには天海説は……
あくまで「匂わせ」程度にとどめておきましょうかね
家康との蜜月といい、彼から菊丸に下された命といい
状況証拠はばっちり揃ってるんですけどねw
そこまでトンデモに流れるのは――「NHKですから!」

最後に、コロナ禍で例年どおりの撮影が
ままならないかな、熱演を見せてくれた
俳優陣、それを支えたスタッフの皆様に
心からの感謝と拍手を。
何も無ければ前半の長良川の合戦のような
迫力あふれる戦闘シーンが見られたのでしょうが
中盤以降の光秀vs久秀、摂津春門
そしてラスボス信長との一対一の遣り取りは
まさに“言葉の一騎打ち”
といっても過言ではない迫力でした。
それもこれも実力派俳優揃いの
キャスティングのおかげですし、一番は
主演がハセヒロさんだったからかと
(主役の演技力が脇役の上限
 食ってしまうようなら配役できない)
こんな年の大河だったからこそ
主役が長谷川さんで本当に良かった
おかげで次の出演作あたりで
沼にハマりそうな予感です【苦笑】
――さぁ、次は『鎌倉殿』が楽しみだ♪

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