ソフィーの世界、またはトゥルーマン・ショー
2020年1月28日 コンピュータ面倒くさいことになった。
とあるウェブサービスを使ってコミュニティページを立ち上げることになった。
使い勝手を試すために一度ページを作ったのだが
参加者1名のみのページは一定期間を過ぎると
勝手に消されてしまうことがあるということなので
その作ったページは自動的に消滅してしまった(スパイかっ)
でも使い勝手はある程度実証できたので
改めてページを作り直して、人を呼ぶことにした。
けど厄介なことに、その新しいページが表示されないらしい。
「らしい」というのは、作成者である店主のアカウントからは
当然入れるし弄れるし書き込むこともできる。
でも外部からはそれが見られないのだ。
コミュニティ本体には辿りつけなくても
店主のマイページ的なものには
そのコミュニティのアイコンも表示されているので
ここから人を導けるかと、今度は
店主のハンドルネームで検索してみた。
――が、引っかかるのは同じ名前のユーザーで
店主のアイコンは全く表示されなかった。
自分はそのウェブサービスのユーザーとして
確かに存在しているはず。
ログインできるし、プロフィールも書き直せる
なのに自分以外のユーザーからは全く見えないのだ
まるで透明人間のように。
閑話休題、まさにリアタイなのでちょうど中学の頃だったはず
一風変わった生徒だった店主は担任にこの本を薦められた
ヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』
当時ベストセラーにもなったので
書名は知っているという方も多いはず。
中身はそこまで覚えちゃいないんだが
(覚えていれば大学以降の現代思想の講義で
もう少し楽ができたかもしれない……)
印象に残っていたのがジョージ・バークリーの論だった。
「存在することは知覚されることである」
ウィキペディア読んでいただければ判るんだが
(……それでも判らないかもしれない -_-;)
例えば目の前の机を叩いてみても
机がそこに存在するという客観的事実の証明にはならず
「机というものをコツコツと叩いた感覚」を
知覚しただけに過ぎないということだそうだ。
つまりは客観的に確固たる世界なんてものは存在せず
総ては自分の主観を通じて感知したものに過ぎない、というのが
詭弁じゃね?とリアル中2病真っ只中の自分も思ったけど
長ずるにしたがって、まぁそういう側面もあるよなと
(眼鏡ユーザーは実感としてそう思うこと大w)
で、こんなドツボの中で四半世紀ぶりくらいに
そんなことを思い出したのだ。
必ずしもバークリーの説どおりではないけれど
自分の目(=アカウント)を通して見た世界は
自分の目を通して見た世界でしかなくて
それは他人の目(=アカウント)を通して見たものと
全く違うんだよなと――もちろんそれは
さっさと解決しなければならない問題ではあるけれど【泣】
または映画『トゥルーマン・ショー』
これだってちゃんと見たわけじゃない、あらすじだけ。
でも主人公と、その周りの目に映る世界は
全くの別物であることは似たようなもんかと。
――って、店主がいったい何をしたっていうんだよ【号泣】
運営側からは全く何の断りもないまま
透明アカウントにされてしまったというのが空恐ろしいかぎり。
そこは「これこれこういう規則違反があったため
以下の権限を停止します」と説明があるべきだろ、
突然の無断垢BANで恐怖政治を敷くのでないのなら。
……はよ問い合わせのお返事プリーズ!【涙】
とあるウェブサービスを使ってコミュニティページを立ち上げることになった。
使い勝手を試すために一度ページを作ったのだが
参加者1名のみのページは一定期間を過ぎると
勝手に消されてしまうことがあるということなので
その作ったページは自動的に消滅してしまった(スパイかっ)
でも使い勝手はある程度実証できたので
改めてページを作り直して、人を呼ぶことにした。
けど厄介なことに、その新しいページが表示されないらしい。
「らしい」というのは、作成者である店主のアカウントからは
当然入れるし弄れるし書き込むこともできる。
でも外部からはそれが見られないのだ。
コミュニティ本体には辿りつけなくても
店主のマイページ的なものには
そのコミュニティのアイコンも表示されているので
ここから人を導けるかと、今度は
店主のハンドルネームで検索してみた。
――が、引っかかるのは同じ名前のユーザーで
店主のアイコンは全く表示されなかった。
自分はそのウェブサービスのユーザーとして
確かに存在しているはず。
ログインできるし、プロフィールも書き直せる
なのに自分以外のユーザーからは全く見えないのだ
まるで透明人間のように。
閑話休題、まさにリアタイなのでちょうど中学の頃だったはず
一風変わった生徒だった店主は担任にこの本を薦められた
ヨースタイン・ゴルデル著『ソフィーの世界』
当時ベストセラーにもなったので
書名は知っているという方も多いはず。
中身はそこまで覚えちゃいないんだが
(覚えていれば大学以降の現代思想の講義で
もう少し楽ができたかもしれない……)
印象に残っていたのがジョージ・バークリーの論だった。
「存在することは知覚されることである」
ウィキペディア読んでいただければ判るんだが
(……それでも判らないかもしれない -_-;)
例えば目の前の机を叩いてみても
机がそこに存在するという客観的事実の証明にはならず
「机というものをコツコツと叩いた感覚」を
知覚しただけに過ぎないということだそうだ。
つまりは客観的に確固たる世界なんてものは存在せず
総ては自分の主観を通じて感知したものに過ぎない、というのが
詭弁じゃね?とリアル中2病真っ只中の自分も思ったけど
長ずるにしたがって、まぁそういう側面もあるよなと
(眼鏡ユーザーは実感としてそう思うこと大w)
で、こんなドツボの中で四半世紀ぶりくらいに
そんなことを思い出したのだ。
必ずしもバークリーの説どおりではないけれど
自分の目(=アカウント)を通して見た世界は
自分の目を通して見た世界でしかなくて
それは他人の目(=アカウント)を通して見たものと
全く違うんだよなと――もちろんそれは
さっさと解決しなければならない問題ではあるけれど【泣】
または映画『トゥルーマン・ショー』
これだってちゃんと見たわけじゃない、あらすじだけ。
でも主人公と、その周りの目に映る世界は
全くの別物であることは似たようなもんかと。
――って、店主がいったい何をしたっていうんだよ【号泣】
運営側からは全く何の断りもないまま
透明アカウントにされてしまったというのが空恐ろしいかぎり。
そこは「これこれこういう規則違反があったため
以下の権限を停止します」と説明があるべきだろ、
突然の無断垢BANで恐怖政治を敷くのでないのなら。
……はよ問い合わせのお返事プリーズ!【涙】
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