ドラマ版もこれにて完結
2017年1月3日 TV
新年一発目がコレってのも何だかなぁなんですが
あくまで平常運行ということで【笑】
書きたいと思ったことを出し惜しみしないというのも
今年の目標の一つですから。
ということで、今年の新年の数少ない楽しみだったのが
『陽炎の辻 完結編』。シーズン2からでしたが
毎週楽しみに見ていましたし、そこから原作に流れて
結局全51巻をコンプリートw ただやっぱり原点がこっちなもので
それでも、もう山本磐音は見られないものと諦めていましたが
これが最後とはいえまたその姿を見ることができて
店主にとって嬉しいお年玉になりました♪
が……やはりせっせと原作を読んでいた母が
文句ぶーぶー言ってるだろうなぁと
手にとるように想像できて、思わず苦笑い。
というのも先日放送されたTVシリーズ総集編でも
「おこんさんとの馴れ初めが違う!」とこぼしてましたから。
でもそこを原作どおりやってたら、おそらく冗長になってたはず。
ドラマは尺が決まってますし、ある程度テンポよくいかないと
視聴者が喰いついてこないというのもあるでしょうし、ねぇ。
今回も「磐音とおこんとの間に息子の空也しか出てこない」と
言ってくるでしょうけど、それに対する店主の答えとしては
「娘の睦月ちゃんは出番が無いでしょ」
あのプロットとしては出てきても後景になるだけ。
その辺が、作者の筆(今なら、佐伯先生もだけど「キータッチ」か)一つで
何十人とキャラクターを登場させられる小説と
その一人ひとりのキャスティングを考え、ギャラを払わなければならない【笑】
お芝居や映像との大きな違い・その1かと。
おそらく制作サイドは原作を、どの人物を省けるか
どれとどれはまとめられるか考えながら読んでるんじゃないでしょうか。
現に、完結編でも登場した鰻屋の職人・松吉は
ドラマでは目明し・地蔵の親分の下働きもしている設定。
確かにそれらが別々の人物である必要性はないですよね。
今回も、原作では三味線職人・鶴吉の役目だった
田沼邸へのスパイは、TVシリーズレギュラーだった柳次郎に。
レギュラーとはいいながら、原作では後半は
いまいち出番が少なかったので、ドラマから入った口としては
結構嬉しいアレンジでした
でも、そうやってTVシリーズではリストラ【泣笑】した
元隠密の弥助が、このエピソードでは登場させざるを得ないので
……こういう役柄で、というのは苦肉の策だよなぁw
その一方で、奈緒や鉄五郎親方
そして「師匠」幸吉(!)など、おなじみの登場人物には
短いながらも印象的な出番も用意してあって
その辺のファンサービスも抜かりなし。
ついでに言えば、整理しなければならないのはキャラクターだけでなく
プロットも同様かと。TV版『陽炎ノ辻』は2010年の新年SP『海の母』以来ですが
原作だとそれから、意知暗殺が描かれる『失意ノ方』まで
19巻分の時間と出来事が集積されているわけですけれど
その間の出来事を原作と忠実に描く必要は
原作読者以外に対してはありませんよね、
ナレーションと説明台詞というやり方でも。
せいぜい、家基さまの不審な死と佐々木道場の没落という
要所さえ抑えていればいいわけで、わざわざ”こっち”の磐音一家を
流浪の旅に出す必然性はないはず。
結局、映像版にとって原作というのは
「叩き台」と言っては語弊があるかもしれませんが
でも要は「リライト」なのかと。
それを元に、何を削って何を付け加えれば
ストーリーがより判りやすく、良くなるか。
もちろんその“正解”は一つだけではありませんし
だから名作と呼ばれる文学作品は繰り返し映像化されているわけで
(店主が卒論としてそういうテーマを取り上げられるほど;笑)
“本質”さえ捉えてあればいいんですよ、と個人的には
かーなーりストライクゾーン広めに設定してますけどね
AHのときもそうでしたがw
さて、予告編の時点から印象的だったのは
いよいよ登場のラスボス・田沼意次に
長塚京三というキャスティング。
まず思ったのが「やっぱりドラマとしてやるからには
ポスト『剣客商売』の意次にならざるを得ないか」ということ。
歴史研究的にも、意次の先見性というのは
ある程度評価されているようですし、その辺のところも
調べた上で脚本にも書き込んでありましたしね。
余談ですが、その意次の息のかかった剣術家役に
山口馬木也さんってのは、ある意味それをふまえてだったのかも。
藤田版『剣客商売』後期の大五郎役でしたからw
そして、本編を見た後ではそれに加えて
最後の、子を亡くした父の悲嘆というところから
逆算してのキャスティングだったと腑に落ちました。
「二次元」と「三次元」の、文字どおりでの大きな違いは
「奥行き」、といえば何だそのとおりじゃん、なのですが
ドラマで生身の俳優が意次役を演じるにあたり
加わったもの、加えなければならなかったのが
その「奥行き」だったんだなと。
原作では良くも悪くも黒幕、ラスボスという
平べったい人物像に過ぎませんでしたが
長塚さん演じる意次は、確かに磐音を愚弄するなど
嫌な奴ではありましたが、彼には彼なりの“正義”があったんだと
思えるだけの人間的なキャラクターになっていました。
意知なんて純粋な斬られ役【泣】だったのが
ちゃんと「二世」の苦悩を抱えた人物に描かれてましたし。
個人的に嬉しかったのが、おこんも
そういう人間的なふくらみ、奥行きが感じられたこと。
やきもきしながら原作を読み続けていた頃から
奈緒さまではなくおこんさん推しでしたから【笑】
でも磐音と祝言を挙げてからは、店主の好きだった
活き活きとしたキャラクターが見受けられず
「妻」「母」という“役割”に終始したイメージに。
でも中越典子さん演じるおこんは、ちゃんと
空也の母上で、金兵衛さんの娘で、そして
磐音さまの身の上を誰よりも案じながら
その宿命をじっと見届けようとする
店主の大好きなおこんさんでした。
特に終盤、息子ともども敵の人質となりながら
救出後に磐音に「平気だったか」と訊かれ
「これくらい平気です」と気丈に言った後に
夫の胸に泣き崩れたギャップがっっっ!!!
――カオリストだったら、判っていただけると思います【爆】
つくづく、店主が好きだったのは、ドラマ『陽炎ノ辻』フィルターを通した
『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズだったんだなと改めて気づきました。
本で読む前にそっちから入ったというのもありますし
おかげで読みながら、そのキャストで登場人物を動かしてしまいますから。
けど金兵衛役の小松政夫さんって
原作の金兵衛さんも充分面白い人なんだけど
ドラマだとその斜め上を行くアドリブ入れてくるからなぁw
さすがは親分さん
当然ながらドラマには出てこない登場人物も山ほどいますが
彼らを想像でキャスティングするのも読む楽しみのうち
(槍折れの平助どのは、なぜか小倉久寛さんなんだよなぁw)
そんなわけで、三次元成分【笑】を存分に補給したからには
実家に帰ったら『居眠り磐音』の終盤近くを読み返してみようかな
ひとり暮らしするときに全巻置いてきてしまいましたから【泣笑】
――ということで、今年も一つよろしくお願いいたしますm(_ _)m
あくまで平常運行ということで【笑】
書きたいと思ったことを出し惜しみしないというのも
今年の目標の一つですから。
ということで、今年の新年の数少ない楽しみだったのが
『陽炎の辻 完結編』。シーズン2からでしたが
毎週楽しみに見ていましたし、そこから原作に流れて
結局全51巻をコンプリートw ただやっぱり原点がこっちなもので
それでも、もう山本磐音は見られないものと諦めていましたが
これが最後とはいえまたその姿を見ることができて
店主にとって嬉しいお年玉になりました♪
が……やはりせっせと原作を読んでいた母が
文句ぶーぶー言ってるだろうなぁと
手にとるように想像できて、思わず苦笑い。
というのも先日放送されたTVシリーズ総集編でも
「おこんさんとの馴れ初めが違う!」とこぼしてましたから。
でもそこを原作どおりやってたら、おそらく冗長になってたはず。
ドラマは尺が決まってますし、ある程度テンポよくいかないと
視聴者が喰いついてこないというのもあるでしょうし、ねぇ。
今回も「磐音とおこんとの間に息子の空也しか出てこない」と
言ってくるでしょうけど、それに対する店主の答えとしては
「娘の睦月ちゃんは出番が無いでしょ」
あのプロットとしては出てきても後景になるだけ。
その辺が、作者の筆(今なら、佐伯先生もだけど「キータッチ」か)一つで
何十人とキャラクターを登場させられる小説と
その一人ひとりのキャスティングを考え、ギャラを払わなければならない【笑】
お芝居や映像との大きな違い・その1かと。
おそらく制作サイドは原作を、どの人物を省けるか
どれとどれはまとめられるか考えながら読んでるんじゃないでしょうか。
現に、完結編でも登場した鰻屋の職人・松吉は
ドラマでは目明し・地蔵の親分の下働きもしている設定。
確かにそれらが別々の人物である必要性はないですよね。
今回も、原作では三味線職人・鶴吉の役目だった
田沼邸へのスパイは、TVシリーズレギュラーだった柳次郎に。
レギュラーとはいいながら、原作では後半は
いまいち出番が少なかったので、ドラマから入った口としては
結構嬉しいアレンジでした
でも、そうやってTVシリーズではリストラ【泣笑】した
元隠密の弥助が、このエピソードでは登場させざるを得ないので
……こういう役柄で、というのは苦肉の策だよなぁw
その一方で、奈緒や鉄五郎親方
そして「師匠」幸吉(!)など、おなじみの登場人物には
短いながらも印象的な出番も用意してあって
その辺のファンサービスも抜かりなし。
ついでに言えば、整理しなければならないのはキャラクターだけでなく
プロットも同様かと。TV版『陽炎ノ辻』は2010年の新年SP『海の母』以来ですが
原作だとそれから、意知暗殺が描かれる『失意ノ方』まで
19巻分の時間と出来事が集積されているわけですけれど
その間の出来事を原作と忠実に描く必要は
原作読者以外に対してはありませんよね、
ナレーションと説明台詞というやり方でも。
せいぜい、家基さまの不審な死と佐々木道場の没落という
要所さえ抑えていればいいわけで、わざわざ”こっち”の磐音一家を
流浪の旅に出す必然性はないはず。
結局、映像版にとって原作というのは
「叩き台」と言っては語弊があるかもしれませんが
でも要は「リライト」なのかと。
それを元に、何を削って何を付け加えれば
ストーリーがより判りやすく、良くなるか。
もちろんその“正解”は一つだけではありませんし
だから名作と呼ばれる文学作品は繰り返し映像化されているわけで
(店主が卒論としてそういうテーマを取り上げられるほど;笑)
“本質”さえ捉えてあればいいんですよ、と個人的には
かーなーりストライクゾーン広めに設定してますけどね
AHのときもそうでしたがw
さて、予告編の時点から印象的だったのは
いよいよ登場のラスボス・田沼意次に
長塚京三というキャスティング。
まず思ったのが「やっぱりドラマとしてやるからには
ポスト『剣客商売』の意次にならざるを得ないか」ということ。
歴史研究的にも、意次の先見性というのは
ある程度評価されているようですし、その辺のところも
調べた上で脚本にも書き込んでありましたしね。
余談ですが、その意次の息のかかった剣術家役に
山口馬木也さんってのは、ある意味それをふまえてだったのかも。
藤田版『剣客商売』後期の大五郎役でしたからw
そして、本編を見た後ではそれに加えて
最後の、子を亡くした父の悲嘆というところから
逆算してのキャスティングだったと腑に落ちました。
「二次元」と「三次元」の、文字どおりでの大きな違いは
「奥行き」、といえば何だそのとおりじゃん、なのですが
ドラマで生身の俳優が意次役を演じるにあたり
加わったもの、加えなければならなかったのが
その「奥行き」だったんだなと。
原作では良くも悪くも黒幕、ラスボスという
平べったい人物像に過ぎませんでしたが
長塚さん演じる意次は、確かに磐音を愚弄するなど
嫌な奴ではありましたが、彼には彼なりの“正義”があったんだと
思えるだけの人間的なキャラクターになっていました。
意知なんて純粋な斬られ役【泣】だったのが
ちゃんと「二世」の苦悩を抱えた人物に描かれてましたし。
個人的に嬉しかったのが、おこんも
そういう人間的なふくらみ、奥行きが感じられたこと。
やきもきしながら原作を読み続けていた頃から
奈緒さまではなくおこんさん推しでしたから【笑】
でも磐音と祝言を挙げてからは、店主の好きだった
活き活きとしたキャラクターが見受けられず
「妻」「母」という“役割”に終始したイメージに。
でも中越典子さん演じるおこんは、ちゃんと
空也の母上で、金兵衛さんの娘で、そして
磐音さまの身の上を誰よりも案じながら
その宿命をじっと見届けようとする
店主の大好きなおこんさんでした。
特に終盤、息子ともども敵の人質となりながら
救出後に磐音に「平気だったか」と訊かれ
「これくらい平気です」と気丈に言った後に
夫の胸に泣き崩れたギャップがっっっ!!!
――カオリストだったら、判っていただけると思います【爆】
つくづく、店主が好きだったのは、ドラマ『陽炎ノ辻』フィルターを通した
『居眠り磐音 江戸双紙』シリーズだったんだなと改めて気づきました。
本で読む前にそっちから入ったというのもありますし
おかげで読みながら、そのキャストで登場人物を動かしてしまいますから。
けど金兵衛役の小松政夫さんって
原作の金兵衛さんも充分面白い人なんだけど
ドラマだとその斜め上を行くアドリブ入れてくるからなぁw
さすがは親分さん
当然ながらドラマには出てこない登場人物も山ほどいますが
彼らを想像でキャスティングするのも読む楽しみのうち
(槍折れの平助どのは、なぜか小倉久寛さんなんだよなぁw)
そんなわけで、三次元成分【笑】を存分に補給したからには
実家に帰ったら『居眠り磐音』の終盤近くを読み返してみようかな
ひとり暮らしするときに全巻置いてきてしまいましたから【泣笑】
――ということで、今年も一つよろしくお願いいたしますm(_ _)m
コメント