伊集院隼人氏は世界をどう見ているのか
2016年4月4日 City Hunter
海ちゃんこと伊集院隼人氏を書くときについ気になってしまう点
彼の『不自由』レベルをいったいどのくらいに設定すればいいんだろうか。
どのくらい見えないのか、という程度ではなくて
見えないことによってどれくらいのことができないのか
ひっくり返せばどれくらいのことが可能なのか、ということ。
でも作中でもライフルやバズーカをぶっ放したり
車のハンドルを握ったりと「本当に目が不自由なのか?」レベル【苦笑】
もちろんそういう、物語の展開重視でリアリティは後回し、という
要は“ご都合主義”を貫くのも一つの手ではあるかと。
だけどなぁ……それじゃやっぱり「嘘くさい」というか
少なくとも自分としては納得できないんだよなぁ
たぶん唯香ちゃんもそうだと思うけど【笑】
と言いつつ、自分がじゃあ視覚障碍者について
どれだけ判ってるのかというと、さーっぱり【泣】
いくら自分が眼鏡がないと日常生活を送れないという点で
”障碍持ち”とはいえ、それとは雲泥の差だし
身内をはじめ周りにそういう人はゼロだし……という中
恰好の取っ掛かりとして見つけたのが、この本。
たぶん図書館に並ぶとしたら(T●UT●YA図書館は除いて;爆)
「福祉」の棚に置かれるのだと思いますが、その手の“先輩”が
「障碍者は○○ができなくて不便な思いをしています。だから
私たちが様々な工夫でその不便を無くしてあげましょう」
という視点だとしたら、この本はそれとは全く違って
「障害」「見えない」という欠落をネガティヴなものではなく
いったん価値判断の無いフラットなものとして捉えて、
「見えないけれどこういうことはできるよ」という違いを
良い意味で「面白がる」、「異文化交流」としての本というべきでしょうか。
この「面白い」という言葉が日本語として違和感があるというか
発する方としても窮屈に感じてしまうのですが
つまりは英語でいうと“interesting”、もう少し的確に言うと
「興味深い」という意味での「面白い」とだけ言い訳。
まぁそういう「障碍のある人の日常」という情報は
既存の本でも拾うことはできたとは思います。
でもそのソースの大部分は、そういう障害のある方の
自伝的エッセイといったジャンル(『五体不満足』みたいなね;苦笑)
に限られてしまい、そうなると1冊で1人のケースしか拾えなくなってしまう
やっぱりある程度のケースを集めて、バラつきを無くしていかないと。
その点この本は、主に4人の、障碍を負った経緯も
ライフスタイルもさまざまな情報提供者と、それ以外にも
個人名としては登場しない、多くの障碍者のケースが紹介されてて
それで新書というお手頃プライス【笑】という入口にはうってつけの本かと。
そんなわけで、全体を総合して捉えるというよりは
CH二次に使えそうなディテールを、傍線引きの色鉛筆片手に拾うという
たぶん読み方としてはきわめて間違った方法だったと思います【泣爆】
でもおかげで目からウロコというか、原作には決して登場しなかった
伊集院家の日常を想像することができるように。
例えば「整理整頓は徹底」、最近流行りのミニマリストかというほど
部屋は最低限のものだけで片づいていることでしょう。
というのも物のありかを記憶だけに頼らなければならないので。
また、買い物に行っても海ちゃんの場合は
最初から買おうと決めてきたものだけを買ってくるのに対し、
美樹さんに頼んだら、商品やら宣伝のPOPやらにほだされて
ついつい予定に無かったものまで買ってきてしまうとか【笑】
こういう、晴眼者は知らない「ローヴィジョンあるある」を
拾えただけでもCH的には結構な収穫でした。
また、そういった「自分に必要な情報にだけ
感覚を研ぎ澄ます」といった姿勢や、揺れる電車の中で
視覚障害の人だけが吊り革を掴まずに立ち続けていた、
というような「常に一寸先を探り、予期せぬ変化に縦横に対応する」
という構えは、おそらく海坊主氏が障碍を負う前から
歴戦の兵士として身につけていたスキルだったのかも。
だからこそ、目が見えなくなってもあれだけ
常人と変わりない行動がとれるのかと思うと納得です。
それは、裏を返せば目の不自由な人は
それだけの「歴戦の兵士」レベルのスキルを
普通に備えている、というようにも読めてしまうわけで
確かに読んでて「障碍者すげー」と素直に感嘆してしまいましたが
それはこの本の意図するところではないのですよね。
それって、いわば左利きの人が左手でペンを持って
普通に字を書いている様子を、店主を含め右利きが見て
「すげー」と思うようなもんなんでしょうね。
それくらいたぶん、彼らにとってそれらは当たり前のスキルなのかと。
そんなわけで、海坊主氏の障碍レベルは
My設定では「トップ・オブ・視覚障碍者」だと考えています。
つまり平均ではなく、障碍を持っていても可能な最高レベル
とりあえず実際に一人いりゃいいんです、目が見えなくても
銃が撃てたり(パラリンピックで視覚障碍者クラスがあるそうな)
車が運転できたり、ってたぶん道交法違反ですが【苦笑】
折よく、今年は五輪の年、ということはパラリンピックの年でもあるので
今回は特に視覚障碍クラスはじっくり注目したいと思います。
彼らこそ現実の「トップ・オブ・視覚障碍者」ですので。
=================================
ついでに……ちょうど書名も出したもんですから
タイムリーなあのことについて【爆】
乙武氏の不倫スキャンダルに、正直ほっとしたところもあります
障碍者は聖人君子じゃないんだと世間に大々的に暴露されて。
まぁ店主は当事者でも何でもないんですけどね。
ただ……今年の香BDネタとも多少かするんですけど
障碍者とか被災者とか遺族とか、やたらと
『24時間テレビ』的な見方されるときがあるじゃないですか
逆境にも負けずに、健気に頑張ってる、みたいな。
そういう紋切り型ってどうかなーと思ってたし
“弱者”だってもっと俗にまみれた、一人の人間なんだと
声を大にして言いたかったくらいです、勝手に【苦笑】
そしたら、まーこんなことにw
メディアを通じて漏れ聞こえてくるツイッターなどのフランクな発言から
この手の壁をぶっ壊してくれるのは乙武氏じゃないかと
勝手に期待してましたが、それに見事に応えてくれましたね【爆】
要は、障碍があろうがなかろうが
タラシはタラシだし、真面目な人は真面目だということ。
確かにそれは大きなハードルですけど、かといって
人格を左右するほどのものではないはず。
で、話はCHに戻りますが
撩をはじめとする、海坊主氏の周りの面々にとって
彼の目が見えないことは、まず真っ先に思いつくことではなく
「ああ、そういえば」レベルの特性に過ぎないのではないかなと。
それはもちろん、そう感じさせないスキルの高さもありますが
周りもあくまで「スキンヘッド」や「サングラス」程度の
(下手すりゃそれ以下のw)「個性」の一つとして
自然に受け入れている感が原作でも見てとれるのが
障碍のある人に対する、一つの理想の接し方ですよね。
つまりは、目が見えていようが見えなかろうと
海ちゃんは海ちゃんということでw
彼の『不自由』レベルをいったいどのくらいに設定すればいいんだろうか。
どのくらい見えないのか、という程度ではなくて
見えないことによってどれくらいのことができないのか
ひっくり返せばどれくらいのことが可能なのか、ということ。
でも作中でもライフルやバズーカをぶっ放したり
車のハンドルを握ったりと「本当に目が不自由なのか?」レベル【苦笑】
もちろんそういう、物語の展開重視でリアリティは後回し、という
要は“ご都合主義”を貫くのも一つの手ではあるかと。
だけどなぁ……それじゃやっぱり「嘘くさい」というか
少なくとも自分としては納得できないんだよなぁ
たぶん唯香ちゃんもそうだと思うけど【笑】
と言いつつ、自分がじゃあ視覚障碍者について
どれだけ判ってるのかというと、さーっぱり【泣】
いくら自分が眼鏡がないと日常生活を送れないという点で
”障碍持ち”とはいえ、それとは雲泥の差だし
身内をはじめ周りにそういう人はゼロだし……という中
恰好の取っ掛かりとして見つけたのが、この本。
たぶん図書館に並ぶとしたら(T●UT●YA図書館は除いて;爆)
「福祉」の棚に置かれるのだと思いますが、その手の“先輩”が
「障碍者は○○ができなくて不便な思いをしています。だから
私たちが様々な工夫でその不便を無くしてあげましょう」
という視点だとしたら、この本はそれとは全く違って
「障害」「見えない」という欠落をネガティヴなものではなく
いったん価値判断の無いフラットなものとして捉えて、
「見えないけれどこういうことはできるよ」という違いを
良い意味で「面白がる」、「異文化交流」としての本というべきでしょうか。
この「面白い」という言葉が日本語として違和感があるというか
発する方としても窮屈に感じてしまうのですが
つまりは英語でいうと“interesting”、もう少し的確に言うと
「興味深い」という意味での「面白い」とだけ言い訳。
まぁそういう「障碍のある人の日常」という情報は
既存の本でも拾うことはできたとは思います。
でもそのソースの大部分は、そういう障害のある方の
自伝的エッセイといったジャンル(『五体不満足』みたいなね;苦笑)
に限られてしまい、そうなると1冊で1人のケースしか拾えなくなってしまう
やっぱりある程度のケースを集めて、バラつきを無くしていかないと。
その点この本は、主に4人の、障碍を負った経緯も
ライフスタイルもさまざまな情報提供者と、それ以外にも
個人名としては登場しない、多くの障碍者のケースが紹介されてて
それで新書というお手頃プライス【笑】という入口にはうってつけの本かと。
そんなわけで、全体を総合して捉えるというよりは
CH二次に使えそうなディテールを、傍線引きの色鉛筆片手に拾うという
たぶん読み方としてはきわめて間違った方法だったと思います【泣爆】
でもおかげで目からウロコというか、原作には決して登場しなかった
伊集院家の日常を想像することができるように。
例えば「整理整頓は徹底」、最近流行りのミニマリストかというほど
部屋は最低限のものだけで片づいていることでしょう。
というのも物のありかを記憶だけに頼らなければならないので。
また、買い物に行っても海ちゃんの場合は
最初から買おうと決めてきたものだけを買ってくるのに対し、
美樹さんに頼んだら、商品やら宣伝のPOPやらにほだされて
ついつい予定に無かったものまで買ってきてしまうとか【笑】
こういう、晴眼者は知らない「ローヴィジョンあるある」を
拾えただけでもCH的には結構な収穫でした。
また、そういった「自分に必要な情報にだけ
感覚を研ぎ澄ます」といった姿勢や、揺れる電車の中で
視覚障害の人だけが吊り革を掴まずに立ち続けていた、
というような「常に一寸先を探り、予期せぬ変化に縦横に対応する」
という構えは、おそらく海坊主氏が障碍を負う前から
歴戦の兵士として身につけていたスキルだったのかも。
だからこそ、目が見えなくなってもあれだけ
常人と変わりない行動がとれるのかと思うと納得です。
それは、裏を返せば目の不自由な人は
それだけの「歴戦の兵士」レベルのスキルを
普通に備えている、というようにも読めてしまうわけで
確かに読んでて「障碍者すげー」と素直に感嘆してしまいましたが
それはこの本の意図するところではないのですよね。
それって、いわば左利きの人が左手でペンを持って
普通に字を書いている様子を、店主を含め右利きが見て
「すげー」と思うようなもんなんでしょうね。
それくらいたぶん、彼らにとってそれらは当たり前のスキルなのかと。
そんなわけで、海坊主氏の障碍レベルは
My設定では「トップ・オブ・視覚障碍者」だと考えています。
つまり平均ではなく、障碍を持っていても可能な最高レベル
とりあえず実際に一人いりゃいいんです、目が見えなくても
銃が撃てたり(パラリンピックで視覚障碍者クラスがあるそうな)
車が運転できたり、ってたぶん道交法違反ですが【苦笑】
折よく、今年は五輪の年、ということはパラリンピックの年でもあるので
今回は特に視覚障碍クラスはじっくり注目したいと思います。
彼らこそ現実の「トップ・オブ・視覚障碍者」ですので。
=================================
ついでに……ちょうど書名も出したもんですから
タイムリーなあのことについて【爆】
乙武氏の不倫スキャンダルに、正直ほっとしたところもあります
障碍者は聖人君子じゃないんだと世間に大々的に暴露されて。
まぁ店主は当事者でも何でもないんですけどね。
ただ……今年の香BDネタとも多少かするんですけど
障碍者とか被災者とか遺族とか、やたらと
『24時間テレビ』的な見方されるときがあるじゃないですか
逆境にも負けずに、健気に頑張ってる、みたいな。
そういう紋切り型ってどうかなーと思ってたし
“弱者”だってもっと俗にまみれた、一人の人間なんだと
声を大にして言いたかったくらいです、勝手に【苦笑】
そしたら、まーこんなことにw
メディアを通じて漏れ聞こえてくるツイッターなどのフランクな発言から
この手の壁をぶっ壊してくれるのは乙武氏じゃないかと
勝手に期待してましたが、それに見事に応えてくれましたね【爆】
要は、障碍があろうがなかろうが
タラシはタラシだし、真面目な人は真面目だということ。
確かにそれは大きなハードルですけど、かといって
人格を左右するほどのものではないはず。
で、話はCHに戻りますが
撩をはじめとする、海坊主氏の周りの面々にとって
彼の目が見えないことは、まず真っ先に思いつくことではなく
「ああ、そういえば」レベルの特性に過ぎないのではないかなと。
それはもちろん、そう感じさせないスキルの高さもありますが
周りもあくまで「スキンヘッド」や「サングラス」程度の
(下手すりゃそれ以下のw)「個性」の一つとして
自然に受け入れている感が原作でも見てとれるのが
障碍のある人に対する、一つの理想の接し方ですよね。
つまりは、目が見えていようが見えなかろうと
海ちゃんは海ちゃんということでw
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