『屋須弘平展』行ってきました
2016年3月22日 City Hunter中米、とりわけグァテマラと聞けばCH的に居ても立ってもいられない店主
明治の初めにその地に渡り、写真師となった日本人の作品展ということで、
CHネタ拾いとしては直接的に期待はできないものの
やっぱり多少なりとも知っておけるものは知っておきたいと
今回も忙しい中都合をつけて行ってまいりました、はるばると。
http://www.earthplaza.jp/ai1ec_event/yasu_2016_1_23?instance_id=
遠かったです本郷台【泣】 京浜東北線・大船の1つ手前
横浜は毎年詣でて【笑】ますが、その先となると充分日帰り旅行ですね。
前に相模大野に、やはりTUBEで行きましたが
そのときより感覚的に時間がかかったような……
さて、店主も今回初めてその名を知りました
屋須弘平氏について少々ご説明を、ってまたwikiに無いし【涙】
とまぁ波乱万丈。でもまだ海外移民すら本格的に始まっていない明治初期に
単身中米に渡り、そこで手探りながら地歩を固めたその生きざまは
撩や海原の大先輩、いやもう先祖といってもいいほど。
とはいうものの……彼の残した写真は主に
その当時の日本国内もそうですが、いわゆる肖像写真
(いまでも七五三などで写真館で撮るようなアレですねw)
それももちろん、当時は大雑把にいっても
「半分から上」の人たちじゃないと撮れなかったわけで
主にメスティソ(スペイン×先住民の混血の子孫・中米社会の主流派)
や、マヤ族でも暮らし向きのいい人々に限られていたわけですよ。
また屋須は、彼が暮らしたアンティグア市の風景も写真に残しています。
そこが、植民地時代の面影を、地震により廃墟となってはいますが
今に残す美しい街で、世界遺産にもなっています。
ちなみに、本で読んだだけで行った気になれる出不精の店主が
実際にこの目で見てみたい海外の街の数少ない一つがアンティグア、
といっても交通だったり、現地の治安の良くなさ
(これも内戦が、軍事独裁が、米帝が悪いんだ!;爆)
で実現は限りなく不可能に近いという皮肉【泣笑】
でも、もしかしたらその国で育ったかもしれない撩にとって
その美しい街は、地球の裏側より遠かったのかもしれない。
撩の記憶に残る“故郷”の風景は、ジャングルであり戦場であり
(先日の映画のような)先住民ら貧しい人々の厳しい暮らしであり
もしかして何かの“任務”でその街に着た可能性も
無きにしも非ずかもしれませんが、少なくともゲリラの一員だった彼にとって
そこは同じ国とはいえ“別世界”だったのでは……
ましてやその後、実際に「地球の裏側」に渡ってからは
飛行機恐怖症の彼にとってはほぼ絶対に行けない場所でしょうしね。
とはいえ一つ収穫だったのは、参考資料として置かれていた
グァテマラの記録写真集。そこには屋須だけでなく
彼と同時代から現代にかけての
グァテマラを記録した写真が掲載されていました。
中には当然、内戦時のゲリラや政府軍側を
映した写真もありましたし、とりわけ目を引いたのは
1949年だから内戦前の、飛行機の国内便の様子を切り取ったもの。
小型機の中で荷物と同じ空間で、座席も無い中
乗客が座っている写真や、その航空便待ちというキャプションの付いた
幼い子供を連れた女性が待合室のようなところで座っている写真。
それらは店主の思い描くものから10年ほど前にはなりますが
その光景に、「冴羽撩」という名の与えられる前の撩の姿を
重ねずにはいられませんでした。
さてさて、展覧会のお楽しみといえばミュージアムショップ【笑】
展示品と併せて紹介されていたのが、グァテマラの先住民の女性による
織物を活かした小物などのブランド『ilo itoo』〈http://iloitoo.jp/〉
ただ……ついてた値札を裏返して見ると、お高い【泣】
文庫本カバーで¥3,600。ってまぁ普段からセレクトショップとかで
センスの良いもの買ってる人にとっては普通なのかもしれませんが
100均がお友達の店主の金銭感覚では、無理。
でも、それがフェアトレードなんですよね。
当然ながら工程は全部手作業、機械でのように量産できず
一日に出来る量も限られている。だからそれだけの量に対して
一日分の稼ぎに相応しい価格を、現地との物価差はあるとはいえ
付けなきゃいけないんですよ。じゃなかったらただの搾取ですから。
それについては店主の大好きなキモノを通じて
嫌というほど実感させられてますので……支払いがキツイ【涙】
余談だが、日本のキモノが高いと言っている奴もいるが
仕方ないでしょ手作業なんだから、大量生産で生地の値段下げられないんだし
特に紬は使っている糸が機械織りに向かないんだよ。
その上、日本の物価が基準だから割高になって当然。
それでもあんたがたの言う「適正価格」のキモノが着たけりゃ
ポリか中国産のバッタもん買えよと言ってやりたい……
そんなわけで、店主自身はかの国の現状に対して
「買って応援」はできませんけど、でもこの場を通じて
財布に多少なりとも余裕のある、同じ志を持つ人に対して
こういうブランドがあると伝えることで、「じゃあ買おうかな」と思ってもらって
そして実行に移してもらうことで、間接的に支援のお手伝いはできるはず。
こうして中米、とりわけグァテマラの近現代史
そして現況に興味を持ったきっかけってのが
シティーハンターってのはちょっと声を大にして言えない話ですが【苦笑】
でも、きっかけは正直何だっていいので
こうやって関心の輪を広げるわずかな一助になれれば
それが店主のできることだと思っています。
って、どれだけ影響力あるかあやしいけどね【泣笑】
明治の初めにその地に渡り、写真師となった日本人の作品展ということで、
CHネタ拾いとしては直接的に期待はできないものの
やっぱり多少なりとも知っておけるものは知っておきたいと
今回も忙しい中都合をつけて行ってまいりました、はるばると。
http://www.earthplaza.jp/ai1ec_event/yasu_2016_1_23?instance_id=
遠かったです本郷台【泣】 京浜東北線・大船の1つ手前
横浜は毎年詣でて【笑】ますが、その先となると充分日帰り旅行ですね。
前に相模大野に、やはりTUBEで行きましたが
そのときより感覚的に時間がかかったような……
さて、店主も今回初めてその名を知りました
屋須弘平氏について少々ご説明を、ってまたwikiに無いし【涙】
1846-1917。一関藩の蘭方医の子として生まれ
江戸で蘭学を学ぶ(『仁―JIN―』や『八重の桜』の同時代人ですね)
横浜に金星の太陽面通過の観測に来たメキシコの観測隊と出逢い
天文学を志しメキシコに渡るも、政変によって断念。
ホームステイ先の家族がグァテマラ大使に任じられたため
居候の屋須も同行。そこで、帰国の旅費のためにと
科学の知識を活かして写真師の助手となり、後に独立開業。
写真師として活躍するが、いったん帰国。
その後、訳あって通訳として、今度はペルーへと渡るが
そこでの事業が暗礁に乗り上げ、結局グァテマラへ。
かの地の人々は「わが友」屋須の帰還を喜んだという。
そこで写真館を再開し、現地の女性と結婚
彼女の甥に写真館を託し、72歳で死去。
とまぁ波乱万丈。でもまだ海外移民すら本格的に始まっていない明治初期に
単身中米に渡り、そこで手探りながら地歩を固めたその生きざまは
撩や海原の大先輩、いやもう先祖といってもいいほど。
とはいうものの……彼の残した写真は主に
その当時の日本国内もそうですが、いわゆる肖像写真
(いまでも七五三などで写真館で撮るようなアレですねw)
それももちろん、当時は大雑把にいっても
「半分から上」の人たちじゃないと撮れなかったわけで
主にメスティソ(スペイン×先住民の混血の子孫・中米社会の主流派)
や、マヤ族でも暮らし向きのいい人々に限られていたわけですよ。
また屋須は、彼が暮らしたアンティグア市の風景も写真に残しています。
そこが、植民地時代の面影を、地震により廃墟となってはいますが
今に残す美しい街で、世界遺産にもなっています。
ちなみに、本で読んだだけで行った気になれる出不精の店主が
実際にこの目で見てみたい海外の街の数少ない一つがアンティグア、
といっても交通だったり、現地の治安の良くなさ
(これも内戦が、軍事独裁が、米帝が悪いんだ!;爆)
で実現は限りなく不可能に近いという皮肉【泣笑】
でも、もしかしたらその国で育ったかもしれない撩にとって
その美しい街は、地球の裏側より遠かったのかもしれない。
撩の記憶に残る“故郷”の風景は、ジャングルであり戦場であり
(先日の映画のような)先住民ら貧しい人々の厳しい暮らしであり
もしかして何かの“任務”でその街に着た可能性も
無きにしも非ずかもしれませんが、少なくともゲリラの一員だった彼にとって
そこは同じ国とはいえ“別世界”だったのでは……
ましてやその後、実際に「地球の裏側」に渡ってからは
飛行機恐怖症の彼にとってはほぼ絶対に行けない場所でしょうしね。
とはいえ一つ収穫だったのは、参考資料として置かれていた
グァテマラの記録写真集。そこには屋須だけでなく
彼と同時代から現代にかけての
グァテマラを記録した写真が掲載されていました。
中には当然、内戦時のゲリラや政府軍側を
映した写真もありましたし、とりわけ目を引いたのは
1949年だから内戦前の、飛行機の国内便の様子を切り取ったもの。
小型機の中で荷物と同じ空間で、座席も無い中
乗客が座っている写真や、その航空便待ちというキャプションの付いた
幼い子供を連れた女性が待合室のようなところで座っている写真。
それらは店主の思い描くものから10年ほど前にはなりますが
その光景に、「冴羽撩」という名の与えられる前の撩の姿を
重ねずにはいられませんでした。
さてさて、展覧会のお楽しみといえばミュージアムショップ【笑】
展示品と併せて紹介されていたのが、グァテマラの先住民の女性による
織物を活かした小物などのブランド『ilo itoo』〈http://iloitoo.jp/〉
ただ……ついてた値札を裏返して見ると、お高い【泣】
文庫本カバーで¥3,600。ってまぁ普段からセレクトショップとかで
センスの良いもの買ってる人にとっては普通なのかもしれませんが
100均がお友達の店主の金銭感覚では、無理。
でも、それがフェアトレードなんですよね。
当然ながら工程は全部手作業、機械でのように量産できず
一日に出来る量も限られている。だからそれだけの量に対して
一日分の稼ぎに相応しい価格を、現地との物価差はあるとはいえ
付けなきゃいけないんですよ。じゃなかったらただの搾取ですから。
それについては店主の大好きなキモノを通じて
嫌というほど実感させられてますので……支払いがキツイ【涙】
余談だが、日本のキモノが高いと言っている奴もいるが
仕方ないでしょ手作業なんだから、大量生産で生地の値段下げられないんだし
特に紬は使っている糸が機械織りに向かないんだよ。
その上、日本の物価が基準だから割高になって当然。
それでもあんたがたの言う「適正価格」のキモノが着たけりゃ
ポリか中国産のバッタもん買えよと言ってやりたい……
そんなわけで、店主自身はかの国の現状に対して
「買って応援」はできませんけど、でもこの場を通じて
財布に多少なりとも余裕のある、同じ志を持つ人に対して
こういうブランドがあると伝えることで、「じゃあ買おうかな」と思ってもらって
そして実行に移してもらうことで、間接的に支援のお手伝いはできるはず。
こうして中米、とりわけグァテマラの近現代史
そして現況に興味を持ったきっかけってのが
シティーハンターってのはちょっと声を大にして言えない話ですが【苦笑】
でも、きっかけは正直何だっていいので
こうやって関心の輪を広げるわずかな一助になれれば
それが店主のできることだと思っています。
って、どれだけ影響力あるかあやしいけどね【泣笑】
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