スマホへの買い替えですが、この時期
分割なしで¥0(つまりオールタダ)の機種が
ドコモショップでも置いてあり、スペックも申し分なさそうなので
後釜候補はとりあえずそれらに絞り込んでおいて
あとは引っ越しの“荷造り”を済ませてから、という感じです。
なにせ出費が一番痛かったので
それが一切かからないというのであれば
そっちを最優先事項にすべきでしょう、
どうせハイスペックな機種は宝の持ち腐れでしょうから。

でもやっぱり、重ね重ねになりますが
ツイッターなどのSNSはやることはないかと。
たとえスマホであっても、そんなに始終ツイートできるような
環境で毎日を過ごしているわけではありませんし
(まぁさすがに仕事中つぶやいてるバカ社会人はいないと思うけど)
たとえ休日であっても、リアルタイムでその時々の様子を発信するよりは
家に帰ってPCを開けて、じっくりその日あったことを書きたい方なので。
つまりはネットニュースタイプというより新聞タイプといいますか【苦笑】

それに、そういう実況中継の言葉というのは
「わーっ」とか「きゃーっ」とかと大して変わらないんですよね
ただただ感情ダダ漏れというか、後で読み返してみて
赤面の至りとなってもおかしくはなさそうな。
それが酒席上のフリートークならまだしも
ツイートなら残りますからね【泣】
なので、時間を置いて冷静になってから
それでも残っている「わーっ」「きゃーっ」を
より適切な言葉に置き換えた上で
きちんとしたロジックの骨組みの上に配置したいのですよ。
じゃないと伝わるものも伝わらないと思うんですけどね
特に専門外の方には。

結局、SNSって「判る人にだけ判ればいい」っていう
世界になってしまっている感があるのは店主だけでしょうか?
番組を見ながらの実況と思しきTLなんて
その番組の流れが判らない人にとってはイミフですよ【涙】
そういうのが、店主個人の美学としては見苦しいなと。
もちろん意見には個人差がありますけどねw
だったらちゃんと、判らない人にも判るようにしたい。

といってもこのブログだって、CHやTUBEのカテゴリの記事は
そのほとんどのエピソードなり曲なりを知っていること前提で
書いてはいますし、判らない言葉があれば
今すぐググってくださいなというつもりで書いてはいますが【泣】
論文だって、最初の序文に文学研究であれば
いつの時代のどこの何ていう作家の何々という作品について
その位置づけなんかをそれをよく知らない先生に対しても
ざっくりと判るように説明してから本論に入るわけです。
そういう親切はネットでも必要なんじゃないですかね
っていってるとツイッターの文字制限なんて簡単にオーバーしますがw

そういうタコツボってネットに限ったことではなく
アカデミズムの世界だって実はそんなもんで、
店主ですら沙翁の全作品を読んだわけではありません【爆】
自分の研究対象の読みを深めるので精一杯で
ロミジュリにいたっては、院を辞めてから日本語でですから。
なので、沙翁研究者はアメリカの現代文学にはさっぱりで
現代文学研究者は、さすがに沙翁は知っていても
同時代のトマス・キッドやクリストファー・マーロウなんかは
名前すら知らないor覚えていないというありさまかと。
そういうのが正直、何となく嫌で
せっせと他流試合(=ゼミ)を重ねているうちに
沙翁読みがおろそかに、という悪循環だったわけですが【泣笑】

せっかくネットという広い世界を泳ぎ回る術を持っているのですから
ツイッターのアカウントを持っている人間同士だけで
やりとりするのももったいないんじゃないでしょうか、
たとえそれがプラットフォームとしては世界最大だとしても
店主のように持っていないマイノリティだってネット上に依然いるわけですし。
でも、ここのブログは日本語の読める環境が必要ではありますが
ネットさえつながれば誰でも読めるし、誰でも
検索で引っかかるようにはなっているはず。
それこそがネットの醍醐味だと、16年前
マイナー趣味を語れる仲間が欲しくてネットを始めた店主は思うのです。

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