私はシャルリー……じゃないと思う
2015年1月16日 お仕事あんまり本業の話もしたくないのだけど、ね。
ずいぶん亀ネタになってしまいましたが
世界中で“Je suit Charlie”(綴り合ってるかな?)の大合唱が
同業者を中心に起きていますけれど
個人的にはそれに無条件で乗る気がしないのですよね。
正直な気持ち……自業自得だろ?
たぶん3.11以前だったら日本人も素直に
「私はシャルリー」と叫べたと思います。
でも今の我々はむしろ、それにブチ切れた挙句
凶行に及んだテロリストの気持ちも判らんでもないはず。
そう、原発事故をネタに代表GK・川島をちゃかした連中ですよ!!
(↑現行代表メンバーでは川島推し)
あれに代表されるように、仏の風刺画はどぎついのが多いようで
冗談の判らないタイプだったら腸が煮えくり返りかねないような……
店主個人はアスペルガーとまではいわないまでも
言葉をわりと真に受ける、つまり冗談の判りづらい方です。
そういうのは個人の違いというのもありますが
地域差、ひいては文化差というのもあるのでは。
例えば関西人にとっての「アホ=愛情」というやつ
いまいち関東の人間の自分にはピンときません。
それでよく「関西の『アホ』=関東の『バカ』」
という変換式が提示されることがありますが、
バカという言葉に愛情を感じるかというと……無いですね、たぶん。
なので店主が「このバカヤローっ!!」と罵ってるときは
大抵本気で罵倒してるので、あしからず【笑】
また、同じような意味で店主の地元には
「でれすけ」という言葉もありますが
この「でれすけ」に愛があるかというと……
方言特有の温かみはあるものの、
やっぱり「でれすけ」は「でれすけ」でしょうね。
まぁ、確かに関東でも古典落語のように
「かかぁ」「山の神」(青学の神野ではない)
「うちの宿六」のような一見すると雑な言い方にも
情愛てんこ盛り、というケースもありますが
それはあくまで江戸や東京下町といった『都市部』のこと。
今の東京は一皮むけば田舎者の街
田舎者は基本的に「言葉」と「意味」に距離が少ないんです。
関西の「アホ」も商都・大阪発祥の文化なんでしょうけど
そうやって「言葉」と「意味」の間にたっぷり距離を取って
その間にいろいろ詰め込むっていうのが
洗練であり文明でありおフランスの「エスプリ」ってやつなんでしょう。
でも、この世の中、おそらく田舎者の方が
都会の人間より多いのですよ、少なくとも世界レベルでは。
そしてそのエスプリとやらを解さない人種らとも
付き合っていかなければならないのですよ
その辺のところがプライドの高いフランス人や
他の欧米人らにはいまいち判っていないような……
翻って、我が身を省みて思うのは
確かに頂いた材料を少しでも面白くして
みんなに興味を持ってもらいたいという思いから
ときには大喜利めいたことも仕事のうちと考えていますが【笑】
これも、時と場合によるよなぁと。
「これを茶化したら、傷つく人がいないか」
ということは常に頭の中に掲げておかなければならないなと
人の振り見て改めて思い直した次第です。
ペンは剣よりも強し、といいますが
それは同時に、ペンもまた
剣と同じくらいざっくりと
人に深手を負わせかねないということ。
もちろん彼らが取った手段は最悪ですけれどね。
「殺してやりたい」と思うことも自由ですけど
だからといって本当に殺してしまえば犯罪ですので。
でも、彼らを駆り立ててしまったものは何だったのか
それは果たして本当に必要なものだったのか
一度、きちんと手を当てて考えてみないと
いけないのではないでしょうか、
「私はシャルリー」という前に。
私はシャルリー、ではありません。
ずいぶん亀ネタになってしまいましたが
世界中で“Je suit Charlie”(綴り合ってるかな?)の大合唱が
同業者を中心に起きていますけれど
個人的にはそれに無条件で乗る気がしないのですよね。
正直な気持ち……自業自得だろ?
たぶん3.11以前だったら日本人も素直に
「私はシャルリー」と叫べたと思います。
でも今の我々はむしろ、それにブチ切れた挙句
凶行に及んだテロリストの気持ちも判らんでもないはず。
そう、原発事故をネタに代表GK・川島をちゃかした連中ですよ!!
(↑現行代表メンバーでは川島推し)
あれに代表されるように、仏の風刺画はどぎついのが多いようで
冗談の判らないタイプだったら腸が煮えくり返りかねないような……
店主個人はアスペルガーとまではいわないまでも
言葉をわりと真に受ける、つまり冗談の判りづらい方です。
そういうのは個人の違いというのもありますが
地域差、ひいては文化差というのもあるのでは。
例えば関西人にとっての「アホ=愛情」というやつ
いまいち関東の人間の自分にはピンときません。
それでよく「関西の『アホ』=関東の『バカ』」
という変換式が提示されることがありますが、
バカという言葉に愛情を感じるかというと……無いですね、たぶん。
なので店主が「このバカヤローっ!!」と罵ってるときは
大抵本気で罵倒してるので、あしからず【笑】
また、同じような意味で店主の地元には
「でれすけ」という言葉もありますが
この「でれすけ」に愛があるかというと……
方言特有の温かみはあるものの、
やっぱり「でれすけ」は「でれすけ」でしょうね。
まぁ、確かに関東でも古典落語のように
「かかぁ」「山の神」(青学の神野ではない)
「うちの宿六」のような一見すると雑な言い方にも
情愛てんこ盛り、というケースもありますが
それはあくまで江戸や東京下町といった『都市部』のこと。
今の東京は一皮むけば田舎者の街
田舎者は基本的に「言葉」と「意味」に距離が少ないんです。
関西の「アホ」も商都・大阪発祥の文化なんでしょうけど
そうやって「言葉」と「意味」の間にたっぷり距離を取って
その間にいろいろ詰め込むっていうのが
洗練であり文明でありおフランスの「エスプリ」ってやつなんでしょう。
でも、この世の中、おそらく田舎者の方が
都会の人間より多いのですよ、少なくとも世界レベルでは。
そしてそのエスプリとやらを解さない人種らとも
付き合っていかなければならないのですよ
その辺のところがプライドの高いフランス人や
他の欧米人らにはいまいち判っていないような……
翻って、我が身を省みて思うのは
確かに頂いた材料を少しでも面白くして
みんなに興味を持ってもらいたいという思いから
ときには大喜利めいたことも仕事のうちと考えていますが【笑】
これも、時と場合によるよなぁと。
「これを茶化したら、傷つく人がいないか」
ということは常に頭の中に掲げておかなければならないなと
人の振り見て改めて思い直した次第です。
ペンは剣よりも強し、といいますが
それは同時に、ペンもまた
剣と同じくらいざっくりと
人に深手を負わせかねないということ。
もちろん彼らが取った手段は最悪ですけれどね。
「殺してやりたい」と思うことも自由ですけど
だからといって本当に殺してしまえば犯罪ですので。
でも、彼らを駆り立ててしまったものは何だったのか
それは果たして本当に必要なものだったのか
一度、きちんと手を当てて考えてみないと
いけないのではないでしょうか、
「私はシャルリー」という前に。
私はシャルリー、ではありません。
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