ちょうど拙作『Promise~遠い過去、そして未来~』
と同じころの警察ネタだよなぁと思って
今さらながら考証の事後検証のつもりでした。
映画『砂の器』とか、いろいろ確かめる術もあったのに
それをやらずに見切り発車してしまったので
いろいろ不安もあったのですよ。
車も当時のものをどこからあんなに持ってきたんだ?というほど
細かいところまでかなり作り込んでいた様子だったので
「あの当時って道路に車があんな感じに疎らだったんだー」などと
読み返す際のイメージがためにもなりました。
ちょうど、主人公の落合刑事の家族環境も
その頃の槇村家と近いものがありましたし。
ちょうどそのころ団地に越してきたというのも
(マイCH設定では)同じ、長男の齢は槇兄より下だろうけど
開会式の日生まれの娘は1965年3月31日生まれの香とはちょうど同学年。
でも、見ているうちにCH云々よりも
自分の環境として身につまされるものがありました。
母方の祖父は福島の農家でしたが、冬の間は東京に出稼ぎに出て
「首都高速を建てた」というのは家族の自慢でもありました。
一番偉いのは、実際に働いたじぃちゃんたちなんだと。
ときどき、周期的にやってくる昭和30年代ブームですが
店主にとってはそのノスタルジーにどこか違和感がありました。
母の子供時代の話は「もはや戦後ではない」どころか
戦前そのままというかむしろ江戸時代?というくらいで
『三丁目の夕日』なんてのはあくまで東京なんかでの話
まるで別の時代を生きているくらい
都会と地方での格差があの当時はあったのだと思います。
そんな、以前から思っていたのに誰も言ってくれなかったことを
はっきり言ってくれたのがこの小説でありドラマだったのではないでしょうか。
だからといって、島崎のようにその頃の
地方を犠牲にせざるをえなかった高度成長を
まるっきり否定する気にはなれないのですよ。
それは現在の、その後の成り行きを知っているからこその
視点に過ぎないのかもしれませんが、
作中で、出稼ぎ中に亡くなった夫の遺骨を引き取りに来た妻が
都見物に上った東京タワーで初めて食べたソフトクリームに
涙を流すシーン、あれを見てふっと祖母が重なりました。
もちろん祖父は(身体は丈夫でなかったものの)
無事出稼ぎから帰り、孫の顔を見届けてからこの世を去りましたが
そんな理由で東京に出る機会の無かった祖母が
(あ、でも自分が働きには行ってたんだよね実は:苦笑)
地元でソフトクリームを食べられるようになったのは
いつのときだったんだろうと。
今では福島の母の実家でも、相変わらずの山の中ですが
電子レンジもIH調理器も、PCも地デジも入ってます。
車で1時間足らずのショッピングモールで
東京と同じものを手に入れることもできます。
それを画一化だ何だといちゃもんつけることもできますが
都会同様の豊かな生活を地方でも送ることができる
その一点だけでも日本の戦後は間違ってなかったなと思うのですよ
その恩恵を受けてきた、豊かになりつつあった地方で育った
田舎者であるからなおさら。今は東京の外縁住まいですが
それでも田舎者が抜けないんですけどねw
と同じころの警察ネタだよなぁと思って
今さらながら考証の事後検証のつもりでした。
映画『砂の器』とか、いろいろ確かめる術もあったのに
それをやらずに見切り発車してしまったので
いろいろ不安もあったのですよ。
車も当時のものをどこからあんなに持ってきたんだ?というほど
細かいところまでかなり作り込んでいた様子だったので
「あの当時って道路に車があんな感じに疎らだったんだー」などと
読み返す際のイメージがためにもなりました。
ちょうど、主人公の落合刑事の家族環境も
その頃の槇村家と近いものがありましたし。
ちょうどそのころ団地に越してきたというのも
(マイCH設定では)同じ、長男の齢は槇兄より下だろうけど
開会式の日生まれの娘は1965年3月31日生まれの香とはちょうど同学年。
でも、見ているうちにCH云々よりも
自分の環境として身につまされるものがありました。
母方の祖父は福島の農家でしたが、冬の間は東京に出稼ぎに出て
「首都高速を建てた」というのは家族の自慢でもありました。
一番偉いのは、実際に働いたじぃちゃんたちなんだと。
ときどき、周期的にやってくる昭和30年代ブームですが
店主にとってはそのノスタルジーにどこか違和感がありました。
母の子供時代の話は「もはや戦後ではない」どころか
戦前そのままというかむしろ江戸時代?というくらいで
『三丁目の夕日』なんてのはあくまで東京なんかでの話
まるで別の時代を生きているくらい
都会と地方での格差があの当時はあったのだと思います。
そんな、以前から思っていたのに誰も言ってくれなかったことを
はっきり言ってくれたのがこの小説でありドラマだったのではないでしょうか。
だからといって、島崎のようにその頃の
地方を犠牲にせざるをえなかった高度成長を
まるっきり否定する気にはなれないのですよ。
それは現在の、その後の成り行きを知っているからこその
視点に過ぎないのかもしれませんが、
作中で、出稼ぎ中に亡くなった夫の遺骨を引き取りに来た妻が
都見物に上った東京タワーで初めて食べたソフトクリームに
涙を流すシーン、あれを見てふっと祖母が重なりました。
もちろん祖父は(身体は丈夫でなかったものの)
無事出稼ぎから帰り、孫の顔を見届けてからこの世を去りましたが
そんな理由で東京に出る機会の無かった祖母が
(あ、でも自分が働きには行ってたんだよね実は:苦笑)
地元でソフトクリームを食べられるようになったのは
いつのときだったんだろうと。
今では福島の母の実家でも、相変わらずの山の中ですが
電子レンジもIH調理器も、PCも地デジも入ってます。
車で1時間足らずのショッピングモールで
東京と同じものを手に入れることもできます。
それを画一化だ何だといちゃもんつけることもできますが
都会同様の豊かな生活を地方でも送ることができる
その一点だけでも日本の戦後は間違ってなかったなと思うのですよ
その恩恵を受けてきた、豊かになりつつあった地方で育った
田舎者であるからなおさら。今は東京の外縁住まいですが
それでも田舎者が抜けないんですけどねw
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