刊行当時から欲しいとは思っていた本ですが
先日、書店の『バーゲンブックフェア』で半額以下でgetしました。
用語集的なものは手持ちの資料で事足りるのですが
言葉から浮かび上がる公家並びに宮中の生活についての記述は
手元に置いておいて損はないと思わせるに足りるものです。

そんなわけで店主の長年の調べもののテーマの一つが
江戸時代のお公家さんたちの生活について。
そのことはここのブログでもたびたびネタにしていたかと。
でも、なかなか断片的なものしか見つからないんですよねぇ。
この間も図書館で着物の歴史についての本をあさってきましたが
そこでも取り上げられているのはもっぱら武家と町人女性だけ。
それでもようやく公家女性の衣装について載っている本を探し当てて
借りてこられたので後でスキャンして資料にします【笑】

で、何で今日このネタを日記に取り上げたのか。
……NHK『歴史秘話ヒストリア』で和宮についてやるというので
少々楽しみにしていたんですが、考証がなぁ――
素人の店主でもボロが判るくらいお寒いものでした。
何で庭田嗣子がおすべらかしじゃなくてただの垂髪なんだよっ!
イラストではおすべらかし、つまりお雛様ヘアになってましたが……
民放の時代劇なんかではなくみなさまの公共放送の
しかも歴史番組なんだから突っ込まれないようなの作りやがれ【泣】

そもそも、和宮ネタで毎回引っかかるのは
定番の「公家風vs武家風」のくだり。
確かに内親王直々の降嫁というのは初めてでしたが
過去、家光以来の大奥では正室は
2名を除いて公家か宮家の出身だったはず。
(そのうちの一人が姑に当たる篤姫なのですが)
その雅やかさに憧れて側室や女中たちも
御台所や彼女付きの女中の真似をしたようなので
大奥の中にはかなり公家文化が流入しているはず。
例えば奥女中の髪型である『片外し』
これはもともと宮中の女官の髪型だったと云われています。
それ以外にも『つぶいち』など、公家と大奥で
共通して結われている髪型がいくつかあったかと。
もちろんディテールは東西で違う点はあるとは思いますが
その点からしても文化的に近いところはあったのではないでしょうか。

一方の京都のお公家さん方ですが、普段から
平安時代さながらの格好をしていたわけではないようです。
http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000132
公家のお姫様の晴れ着姿なのですが
見た感じ、髪を結い上げ打掛姿と
武家の姫とさほど違いはないような。
宮中では帝は古式ゆかしい生活を送っていて
そこで使える女官たちもそれなりの正装はしていましたが
一転、公家や宮家の各家庭ではその当時なりの
服装や髪形をしていたらしいです。
だいたい、和宮が育ったのは母方の実家でして
公家全体でいうと中の上の家柄だったかと。
それでも皇女なりの育てられ方をしていたのかもしれませんが
評伝からの孫引きで申し訳ないものの、ある正月に
母親から鼈甲の髪飾りを貰ったとのこと。
でも、和宮といって思い浮かべるあの「お雛様ヘア」には
そういう髪飾りは不要ですよね?
なので、まだ母方の実家にいた頃はリンク先のマネキンのように
普通に髪を結い上げていたのかもしれません。
だとしたら大奥の、必ずしも「御所風」ではないにしても
公武折衷スタイルは和宮にとってそれほど違和感はなかったのでは……

――あー、『篤姫』見ておくべきだった【涙】
おそらく近年の大河で一番近世の公家社会が
フィーチャーされたドラマだったかもしれなかったのに。
徳川家に嫁ぐ前に京の近衛家で花嫁修業したわけですし
そこに使える村岡局とかも出てましたしね。
それを超える公家フィーチャー作といったら
もちろん和宮主役しかないでしょう!
少女時代の描写から当時の公家・宮家の生活ぶりが窺えるでしょうし
公家サイドから見た幕末動乱という視点も
さんざん幕末ネタをやってきたけど今まで無かったのでは。
三条実美や岩倉具視など役者も揃ってますしw
最近特に、男女共同参画の影響なのか
女性主役の大河が増えてきていますが、
新島八重などマイナーどころをやるより先に
歴史の教科書に載っているようなビッグネームをまず取り上げないと、
北条政子とか持統天皇とかさぁ。
篤姫やっちゃったんですぐにはできないとは思いますが
和宮さまを取り上げる際には、くれぐれも考証には
力を入れていただきますよう。
そこに描かれているディテールを鵜呑みにしても
嘲われたりしない程度には。

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