怖いもの見たさ
2012年2月25日 City Hunter
『シティーハンター』でブックレヴュー書きの検索かけたら
完全版1巻の次にこれが出るようになっちまったよ【泣】
あれ以来、意識して韓流雑誌(もともと読まない)を避けていましたが
敵を知らざれば百戦危うしと、とりあえず敵情視察。
でも近所の本屋ではみんなビニールかかっていて
出先の丸善でようやく偵察に成功しましたであります!
――違う、違うんだよ
『シティーハンター』ってのはやっぱりパイソン、クーパー
そして“XYZ”なんだよ!!
依頼を受けてそれを遂行するってのがCHのあるべきパターン
やっぱりこの一話完結スタイルは崩しちゃダメだと思う。
自分のために動くっていうのが「らしく」ない。
それに――『復讐』っていう言葉ほど
撩からほど遠いものはないんじゃないでしょうか?
確かに原作も槇村の死~vs海原の“本編”だけで括れば
亡き相棒の復讐といえなくもないのですが、
実際は槇村の復讐にしても実行犯を消したまでで
深追いはしませんでしたし(その黒幕が自分のもっとも憎むべき敵だと
作者はともかく【爆】撩自身は知っていたはずなのに)
vs海原にしても、香にとってこれ以上の犠牲者を出さないため
撩にとっては限りなく『安楽死』に近い目的だったのでは。
もちろん復讐の代行はシティーハンターにとっては仕事のうち
初期の頃はそういう依頼が多かったでしたよね。
でも撩自身は自分のそういう感情から一歩距離を置いていたような。
――これは自分の推測なんですけれど、彼にとって
もっとも憎むべき相手は、自分を裏切った海原ではなく
利用されていたとはいえ、大勢の敵とともに
数多くの罪のない人々を手に書けた自分自身だったのではないでしょうか。
だとしたらCHは単なる復讐譚ではなく
『贖罪』と『再生』の物語ではないのかと店主としては勝手に構想しています。
ただ――韓国側のスタッフに「愛がない」とは一概に言えないような。
監督だかプロデューサーだかのインタビューにあったのですが
CHの中でも撩の過去に一番感銘を受けて
それをもとにドラマ化したいと思ったんだそうな。
店主自身、CH二次をやっているのはファンとしての願望充足という以上に
一人のモノ書き志願としてCHという作品に感銘を受けたからであり、
クリエイター(の端くれ)にとっての愛情表現というのは
それをときに換骨奪胎してでも自分の手で作品化することなんですよ、
それに元のタイトルをつけるか、それともオリジナルということでやるかは
作り手自身の節度の問題ではありますが。
確かに、幼くして親を失い、戦うことだけしか知らずに育った主人公が
初めてそれ以外の世界に触れる――という設定は魅力的ではありますし
店主自身も撩の過去ネタを何度か書いたことがありますし
また、それとよく似た話をオリジナルとして構想したりもしています。
――ぶっちゃけ、今映画でやってますけど
『ベルセルク』の黄金時代編もまさにそういう話ではありますよね【爆】
それを「CHっぽい」と思うファンは少なくないかと思いますが
「パクリだ」と目くじら立てる人はさすがにいないでしょう。
韓国版の制作サイドも、撩というキャラクターへの愛はよく判りました。
でも、それと『シティーハンター』というタイトルをつけることとは
また別なんですよねぇ……【泣汗】
それ以上に愛が無かったのは原作者orz
許可を出した経緯も何か投げやりだし
載ってたイラストも、イラスト集表紙の流用ブツ【号泣】
少なくとも自分の今描いているのが、たとえパラレル宣言しようとも
自分なりのCH続編のつもりだったら、その前日譚のCHを
あそこまで無下な扱いにしないとは思うのですが……
さて、その公式ガイドブックの帯の
「誰も信じるな 誰も愛するな」 というコピーに
不覚にもパイソンでハートをぶち抜かれてしまいました【爆】
(彼はパイソンじゃないみたいですが)
まさにこれこそが店主の描きたい原作リョウなんですよ。
もっとも慕っていた“父親”に裏切られ
ある意味で父親代わりだったケニーさえ
手にかけなければならなかった撩にとって
もう二度と、こんな目に遭うんだったら
誰かを信じたくはないし信じられないと思うのは当然でしょう。
誰かを愛するなんてもってのほか。
でも、それでも誰か、決して自分を裏切らない相手が
いるんじゃないかと期待したくなるのですよ。
でもその相手に裏切られたらもう生きていけなくなるから
だったら最初から信じなければいい、愛さなければいいと【泣】
――この辺の思考回路は嫌というほどよく判ります←プチ同類
たとえ99.9%別モノであったとしても
0.1%の真髄を掴んでいたとしたら、偽物とはいえないよなぁ……
完全版1巻の次にこれが出るようになっちまったよ【泣】
あれ以来、意識して韓流雑誌(もともと読まない)を避けていましたが
敵を知らざれば百戦危うしと、とりあえず敵情視察。
でも近所の本屋ではみんなビニールかかっていて
出先の丸善でようやく偵察に成功しましたであります!
――違う、違うんだよ
『シティーハンター』ってのはやっぱりパイソン、クーパー
そして“XYZ”なんだよ!!
依頼を受けてそれを遂行するってのがCHのあるべきパターン
やっぱりこの一話完結スタイルは崩しちゃダメだと思う。
自分のために動くっていうのが「らしく」ない。
それに――『復讐』っていう言葉ほど
撩からほど遠いものはないんじゃないでしょうか?
確かに原作も槇村の死~vs海原の“本編”だけで括れば
亡き相棒の復讐といえなくもないのですが、
実際は槇村の復讐にしても実行犯を消したまでで
深追いはしませんでしたし(その黒幕が自分のもっとも憎むべき敵だと
作者はともかく【爆】撩自身は知っていたはずなのに)
vs海原にしても、香にとってこれ以上の犠牲者を出さないため
撩にとっては限りなく『安楽死』に近い目的だったのでは。
もちろん復讐の代行はシティーハンターにとっては仕事のうち
初期の頃はそういう依頼が多かったでしたよね。
でも撩自身は自分のそういう感情から一歩距離を置いていたような。
――これは自分の推測なんですけれど、彼にとって
もっとも憎むべき相手は、自分を裏切った海原ではなく
利用されていたとはいえ、大勢の敵とともに
数多くの罪のない人々を手に書けた自分自身だったのではないでしょうか。
だとしたらCHは単なる復讐譚ではなく
『贖罪』と『再生』の物語ではないのかと店主としては勝手に構想しています。
ただ――韓国側のスタッフに「愛がない」とは一概に言えないような。
監督だかプロデューサーだかのインタビューにあったのですが
CHの中でも撩の過去に一番感銘を受けて
それをもとにドラマ化したいと思ったんだそうな。
店主自身、CH二次をやっているのはファンとしての願望充足という以上に
一人のモノ書き志願としてCHという作品に感銘を受けたからであり、
クリエイター(の端くれ)にとっての愛情表現というのは
それをときに換骨奪胎してでも自分の手で作品化することなんですよ、
それに元のタイトルをつけるか、それともオリジナルということでやるかは
作り手自身の節度の問題ではありますが。
確かに、幼くして親を失い、戦うことだけしか知らずに育った主人公が
初めてそれ以外の世界に触れる――という設定は魅力的ではありますし
店主自身も撩の過去ネタを何度か書いたことがありますし
また、それとよく似た話をオリジナルとして構想したりもしています。
――ぶっちゃけ、今映画でやってますけど
『ベルセルク』の黄金時代編もまさにそういう話ではありますよね【爆】
それを「CHっぽい」と思うファンは少なくないかと思いますが
「パクリだ」と目くじら立てる人はさすがにいないでしょう。
韓国版の制作サイドも、撩というキャラクターへの愛はよく判りました。
でも、それと『シティーハンター』というタイトルをつけることとは
また別なんですよねぇ……【泣汗】
それ以上に愛が無かったのは原作者orz
許可を出した経緯も何か投げやりだし
載ってたイラストも、イラスト集表紙の流用ブツ【号泣】
少なくとも自分の今描いているのが、たとえパラレル宣言しようとも
自分なりのCH続編のつもりだったら、その前日譚のCHを
あそこまで無下な扱いにしないとは思うのですが……
さて、その公式ガイドブックの帯の
「誰も信じるな 誰も愛するな」 というコピーに
不覚にもパイソンでハートをぶち抜かれてしまいました【爆】
(彼はパイソンじゃないみたいですが)
まさにこれこそが店主の描きたい原作リョウなんですよ。
もっとも慕っていた“父親”に裏切られ
ある意味で父親代わりだったケニーさえ
手にかけなければならなかった撩にとって
もう二度と、こんな目に遭うんだったら
誰かを信じたくはないし信じられないと思うのは当然でしょう。
誰かを愛するなんてもってのほか。
でも、それでも誰か、決して自分を裏切らない相手が
いるんじゃないかと期待したくなるのですよ。
でもその相手に裏切られたらもう生きていけなくなるから
だったら最初から信じなければいい、愛さなければいいと【泣】
――この辺の思考回路は嫌というほどよく判ります←プチ同類
たとえ99.9%別モノであったとしても
0.1%の真髄を掴んでいたとしたら、偽物とはいえないよなぁ……
コメント