ども、電機屋の店頭でカメラ見てたら
ミラーレス一眼がいいのか、それともコンデジ上位機種
(PowerShot S100とかRICOH GR Digital IVとか)でもいいのか
本格的に迷ってしまった店主です【泣】
ミラーレスでもPENシリーズの中にLITEやMINIが出てきたように
ハイエンドとエントリーモデルの住み分けが始まってきつつありますし
ペンタももしかしたらQの上位機種をその打ち出すかもしれない。
となると下っ端ミラーレスと上級コンデジの違いって
レンズの着脱以外に無くなってきてしまうのか?というような気が。
今使ってるのがRICOHのCX3なんですが
現行のCX6になると絞り/SS優先AFが付いてるんですよ。
でも、そうやってグレード落として妥協すると
新しいのが出てきたときにまた前のがダメになってないのに
欲しくなるから、ある程度スペックは贅沢言った方がいいんですけどね。

で、何で一眼が欲しくなったか、というか
結局AFでしか使えないCX3じゃダメだと思うようになったかというと
きっかけは一枚の写真でした。
確か一昨年かその前の年か、家族で那珂湊の方に行ったとき
魚市場の店先でスルメがくるくると回っていた。
そうやって干していたんですが、それをぱちりと撮ったわけですよ。
AFだったから当然、スルメは止まって写っていました。
でもそれじゃなんで店主がその写真を撮ったかが見えてこないんです。
そのくるくる回っている動きを取りたいんだったら
シャッタースピードを長くしてスルメをあえて流すというのは
テクニックに特に詳しくない店主でも判ること←それでいいのか写真部OG
でも、SS優先が付いていなかったCX3では
自分で決めたSSに合わせて露出を調整するというのまでは
さすがに店主にはできませんでした。

挫折した初心者の方には痛いほどよく判ると思いますが
カメラが映し出すのは自分の目で見た風景ではないんですよ。
べたっと一面的なただの視覚的記録、
近くにあるものも遠くにあるものも良くも悪くも平等。
でも、人間の目に映るものには意識/無意識のフォーカスがかかっていて
自分の見たいものはたとえ遠くのものでもはっきりと見えていて
あまり興味のないものは近くであってもボケている、というもの。
小学校の頃、写生の時間に先生に言われたりしませんでしたか?
「自分の書きたいものを大きく描くようにしましょう」なんて。
それもやっぱり『人間の眼』フォーカスですよね。
だからこれだけ写真が当たり前になっても
具象画というジャンルが生き残っている理由なんじゃないかと思います
見たままではなく、自分の『心の眼』に映ったものを
写し取るメディアとして。
そして、ちょうど一年前に店主は中学生に
『風景』と『情景』の違いを説明していたりしていましたが
人間の目に映るものはみな『情景』なのではないでしょうか。

まぁ、店主は手先が不器用なので
自分の頭にあるイメージを忠実に絵にできなかったので
写真に流れてきたクチなんですけどね【泣笑】

ちょうど昨日、TVで人間の視覚について取り上げていましたけれど
実際に目の前にあるものと、脳の視覚野に映し出されたものと
実は全然違うものだそうで。
脳の電気信号から視覚野の情報を再現できるとか
凄い時代になったもんです。
でもその全然違う情報を、今度は記憶などを頼りに
実際のものと寸分たがわぬ映像として再現するんだとか。
でも、それがはたして「寸分たがわぬ」ものなのか?
自分が見ているものと、他人が見ているもの
それが全く同じものと言い切ることができるんだろうか?

そんなことを考えるのは、店主が眼鏡ユーザーだからかもしれません。
眼鏡を買い替えたとき、当然ながら風景が全く違って見えるんですよね
今までぼやけていたものがはっきり見えるんですが
前の眼鏡をかけていたときは、それがぼやけているとは全く思わなかった
つまり、その多少ぼやけている像=目の前の現実なんだと。
そもそも眼鏡というものは、近視なり老眼なりで歪んだ像を
レンズの屈折によって現実の像と同じように補正するというものなんですが
じゃあ、その基準となる『現実の像』なんてのは
実際に存在するんでしょうか?
眼鏡などによる矯正が必要ではなくても
視力1.5の人と0.8の人に見える世界は当然ながら違うわけで
でもその人たちにとっては自分の目に見えるもの=現実であると
何の疑いもなく生きているんでしょうね。
もちろん、その人たちとマサイ族の人の目に見えるものも
全く別ものなんでしょうけど【笑】

また話が多少迷走しますが
同じものに向けてシャッターを押せば
理屈上は同じように撮れてしまう写真というメディアが
何で芸術とまでいわれているかというと
ぶっちゃけ何を撮るか、つまり何に心のフォーカスが合うか
というセンスの芸術なんですよね。
別にきれいな景色でなくても、きれいな人じゃなくてもいいんですよ
そのセンスさえあれば、日常の何気ない風景でも
フレームに切り取ることで特別なものに変えることができるんですから。
だから、せめてそのどこに心のフォーカスが合っているか
判るような写真を撮れるだけのテクニックは必要ですよね。
それは今のカメラじゃ無理なんですよ。
でも、どれがいいんだろ
どれを買えば一番後悔しないんだろ……

コメント

nophoto
muff
2012年2月1日15:57

あー、悩むのはよーく解ります。私もそれで買えないで、早何年か(^^ゞ
画素数だの望遠倍率だの数値でいえば、上位のエントリー機種より、ハイエンドコンデジが勝ります。デジタルになってからは、そういうものらしいです。

じゃー、ミラーあるなしにかかわらず、一眼とコンパクトカメラの違いは何かといえば、レンズ交換と映し出される画像のずれがあるかないかです。
マクロレンズや単焦点に拘らずに、ある程度範囲(所謂キットでついてる標準ズームレンズ)のズームレンズだけでOkならレンズ交換は出来なくたっていい訳です。
レンズ交換しないんだから、取り外し出来なくたって済むのです。

じゃー、何が違うかっていうと、シャッター切ったあとの映し出される範囲が変わってくるんです。
もちろん、背景がボケるだのピントが合う時間だの、出来上がりの画の鮮明さだのはレンズの良しあしにもよりますけど、私としてはプロじゃないのでスルーできる訳です。
でもどうしてもイライラするのは、所謂コンデジで映したいと思って液晶見ながらシャッター押したあと、撮れた出来上がり画像がズレてる事なんです。
フィルムで出来上がりの確認が撮れないなら捨て置くしかないと割り切れても、事前にこれだ!と液晶で構図決めてシャッター切ってるのに、実際はズレて切れちゃう。だからずれるのを考慮しながら撮り直すなんてのばっかりで・・・
もっぱら物撮り(ポートレイトでも物撮りに近い)したいからかもしれないけど、ちゃぶ台ひっくり返したいくらい、心の中でちがーう!と叫んでます。

次の記事にも続きますけど、私は・・・何度液晶で確認できて不要な画像は捨てられても、ズレさえなければファインダーだけでいいかも。
私としては、そこでもモタついて、撮りたい一瞬を逃すのがいやなんです。
子どもやペットって、直ぐに動いちゃって・・・再現できないし、なので失敗は後から削除するので、取りあえずどんどん保存しとけーって具合です。
でもって、連射の中からベストを選んでくれるなんてーのは却下です。
勝手に決めんなー、おい。なので、そういう機能はどうなんでしょうねぇ。
機械的に、他の人からみて、失敗策でも、私的には敢えてそれが欲しいってのがあるんだけどなぁと思います。

何を撮るか、撮りたいかでも、選ぶ物が違ってくるかも。
何台も持てるなら話は別なんだけど、そうも行かないので(^_^;)

ただ、見た目も重視派の私は、多少の不便は我慢できますし、します。
キッチン道具などは、まさにそうなので我が家の道具は機能的には??な物も多いですが、結局はシンプル機能に戻るかなぁって感じです。
慣れも問題なのか、歳取っただけなのか・・・最新機能について行けない?とも言うかも(^_^;)照明のリモコンとか、押し入れにしまいっぱなしだし(~_~;)

蛟 游茗
2012年2月2日0:30

AFのスピードは一眼の一番判りやすいメリットでしょうね。
というか、デジカメ自体アナログに比べると
とんでもなくシャッターが遅くありません?
以前、知り合いの結婚式にカメラを持っていったものの
そのおかげで何度シャッターチャンスを逃したことか……

といっても、基本的に風景撮りであまり動きのあるものは撮らないので
そういう点ではコンデジでもいいような気もしないでもないです。
あ、でも猫と鳥はカメラを向けることが多いので
やっぱり一眼の方がいいのか……
というか、そもそも自動巻きの腕時計や万年筆と同じで
「一眼持ってんだぞー!」という自己満足が一番大きいのかも【爆】
電池式クォーツの方が正確ですし
文字を書くならボールペンでも充分なんですから。

>連射の中からベストを選んでくれる
そういえば、HDDレコーダーでもそんな機能ありましたっけ。
それもどうかと思うんですけどねぇ。
スポーツ中継のダイジェストでも、得点シーンよりも
好きな選手が絡んでる場面の方が見たいなんてことはありますし。
携帯だって半分以上使いこなせてないですしね
無駄な機能が多すぎます。
そういう人こそスマホがいいともいうようですが……
よけいに使いこなせなさそうで。

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