沙翁別人説
2011年9月23日おぉ、一日3回も更新なんて頑張ってるな店主。
さて、今日やってた歴史関係のテレビ番組で
シェイクスピア別人説が取り上げられていました。
あの一連の戯曲を書いたのは1564年生まれ1616年没の
ストラトフォード・アポン・エイボン生まれの人物ではなくて
もっと誰か別の人間だったのではないかと。
まぁ、この人の場合は大学出てないというのが大きいようですね。
当時でも一流の劇作家と呼ばれていたのは
オックスフォードかケンブリッジ卒でしたから。
(でも彼らにしてみれば大学まで出て
しがない台本屋稼業、なんですけどね)
沙翁作品の中には『ジュリアス・シーザー』などの歴史劇もありますし
それ以外にも古典の教養がそこかしこに出ていますから
それを高卒風情の役者上がりが書けるわけがないだろうと。
その辺は店主ごときが口を挟めるものではないのですが。
そんな中、「顔が似てるから」というエリザベス女王説は
根拠としてはあまりにもバカバカしいなと思いましたが
この手のトンデモ説の中でも一番有力なのが
当時一の知識人であったフランシス・ベーコン。
でもその理由というのが外交官でもあったベーコンだったら
海外が舞台の作品も書けたであろうというもの。
それが根拠だとしたらあまりにもナンセンス。
確かにロミジュリの舞台はイタリアのベローナだし
ハムレットはデンマークの王子様、
でもそれは我々の考えるリアルな外国じゃないんですよね。
歌舞伎では「現代」を舞台にしてはいけなかったというのはご存知でしょうか。
ザ・歌舞伎な『仮名手本忠臣蔵』も吉良上野介=高師直というように
舞台は室町時代に置き換えています。
忠臣蔵、という題材自体が体制にとって微妙なように
実名を出したら幕府批判につながりかねないというのが大きな理由。
それは実は沙翁の時代のイギリスでも同じことで
検閲がやはりけっこう厳しかったんですよ。
宗教対立の時代だからそれ関係のことは出してはいけないということで
‘by God(神かけて、絶対に)’という日常表現ですら
‘by Jove(=Jupiter)’と異教の神の名前を出してきますし。
それに、本当にベーコン=沙翁だとしたら
こんなむちゃくちゃなもの書かないと思うんですよ、
『冬物語』にボヘミアが舞台として登場するんですが
そこには海があるんですよね。
ボヘミア=現在のチェコなんですが、そこって内陸国ですよ!!
そもそも『ジュリアス・シーザー』だって
当時の舞台を描いた絵では、いかにもローマな衣装ではなく
(『テルマエ・ロマエ』参照ですかね、最近なら)
16世紀の、つまり「現代」の格好なんですよ。
それはあくまでディカプリオのロミジュリのような
奇抜さ狙いの演出などではなく。
つまりは歌舞伎が室町や鎌倉を舞台としながらも
(そんなの中身に詳しくないと判りませんけどね)
江戸時代を、その当時の「現代」を描いていたように
沙翁の描く外国も過去も、その当時のイギリスそのもの
だから研究するためにはローマ史なんかよりも
エリザベス朝のイギリスを研究しないといけないんですから。
沙翁研究というのは刻一刻と変化していて
昔々は沙翁作と思われていたのが
実は別人の作品だというのが明らかになったり
単独執筆と思われたのが実は合作だったり。
今ではコンピュータを使っての文体分析
(言葉遣いのくせなど)も容易になりましたので
また何かしら、歴史をひっくり返すような発見があるかもしれません。
さて、今日やってた歴史関係のテレビ番組で
シェイクスピア別人説が取り上げられていました。
あの一連の戯曲を書いたのは1564年生まれ1616年没の
ストラトフォード・アポン・エイボン生まれの人物ではなくて
もっと誰か別の人間だったのではないかと。
まぁ、この人の場合は大学出てないというのが大きいようですね。
当時でも一流の劇作家と呼ばれていたのは
オックスフォードかケンブリッジ卒でしたから。
(でも彼らにしてみれば大学まで出て
しがない台本屋稼業、なんですけどね)
沙翁作品の中には『ジュリアス・シーザー』などの歴史劇もありますし
それ以外にも古典の教養がそこかしこに出ていますから
それを高卒風情の役者上がりが書けるわけがないだろうと。
その辺は店主ごときが口を挟めるものではないのですが。
そんな中、「顔が似てるから」というエリザベス女王説は
根拠としてはあまりにもバカバカしいなと思いましたが
この手のトンデモ説の中でも一番有力なのが
当時一の知識人であったフランシス・ベーコン。
でもその理由というのが外交官でもあったベーコンだったら
海外が舞台の作品も書けたであろうというもの。
それが根拠だとしたらあまりにもナンセンス。
確かにロミジュリの舞台はイタリアのベローナだし
ハムレットはデンマークの王子様、
でもそれは我々の考えるリアルな外国じゃないんですよね。
歌舞伎では「現代」を舞台にしてはいけなかったというのはご存知でしょうか。
ザ・歌舞伎な『仮名手本忠臣蔵』も吉良上野介=高師直というように
舞台は室町時代に置き換えています。
忠臣蔵、という題材自体が体制にとって微妙なように
実名を出したら幕府批判につながりかねないというのが大きな理由。
それは実は沙翁の時代のイギリスでも同じことで
検閲がやはりけっこう厳しかったんですよ。
宗教対立の時代だからそれ関係のことは出してはいけないということで
‘by God(神かけて、絶対に)’という日常表現ですら
‘by Jove(=Jupiter)’と異教の神の名前を出してきますし。
それに、本当にベーコン=沙翁だとしたら
こんなむちゃくちゃなもの書かないと思うんですよ、
『冬物語』にボヘミアが舞台として登場するんですが
そこには海があるんですよね。
ボヘミア=現在のチェコなんですが、そこって内陸国ですよ!!
そもそも『ジュリアス・シーザー』だって
当時の舞台を描いた絵では、いかにもローマな衣装ではなく
(『テルマエ・ロマエ』参照ですかね、最近なら)
16世紀の、つまり「現代」の格好なんですよ。
それはあくまでディカプリオのロミジュリのような
奇抜さ狙いの演出などではなく。
つまりは歌舞伎が室町や鎌倉を舞台としながらも
(そんなの中身に詳しくないと判りませんけどね)
江戸時代を、その当時の「現代」を描いていたように
沙翁の描く外国も過去も、その当時のイギリスそのもの
だから研究するためにはローマ史なんかよりも
エリザベス朝のイギリスを研究しないといけないんですから。
沙翁研究というのは刻一刻と変化していて
昔々は沙翁作と思われていたのが
実は別人の作品だというのが明らかになったり
単独執筆と思われたのが実は合作だったり。
今ではコンピュータを使っての文体分析
(言葉遣いのくせなど)も容易になりましたので
また何かしら、歴史をひっくり返すような発見があるかもしれません。
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