SNS難民のマニフェスト
2011年8月25日 コンピュータ コメント (2)最近、ネットの居心地が悪くなったような気がする。
自分一人だけ周囲から浮いているような、やけに孤立しているような。
もしかしたら、自分と他と
ネットに求めているものが違うのかもしれない。
最近はやたら「コミュニティ」とか「ソーシャル」とかいうのを
耳にするけれど、自分にとってネットは
そんな内輪だけの仲良しこよしの道具なんかじゃなくて、
もっとワールドワイドでひたむきな「自己表現」の手段だったはず。
自分がネットを始めた頃は確かにコミュニケーションのためのツールだった。
周りに同じ趣味がいなくても、ネットさえあれば世界中から
(少なくとも世界中の日本語話者から)同好の士が探せるのだから。
そこで出会った数々のサイトは、どれだけ自分がそれを好きかを
競い合っているかのようだった。
店主は昔から物書き志願だったけど
ネットが無かった頃は商業ベースに乗せるしか
自分の書いたものを大勢の人に読んでもらう術は無かった。
でもネットだったらプロにならなくても
自分の文章を人に読んでもらえるんじゃないか、
そう思って店主もサイトマスターの仲間入りをしたんだった。
あの当時のサイト持ちは、同じように
何かを強烈に語りたいという思いを持つ人ばかりだったと思う。
その頃はまだビルダーなどのソフトか、それより前だと
メモ帳にちまちまタグ打ちだったけど、
そんな手間すら苦にしないという情熱の持ち主だった。
そして、サイトマスターに対して
訪問者たちはある種の敬意を持っていた、そんな時代だった。
でも、Web2.0なんて呼ばれる時代が来ると(それも古いな;汗)
そういう雰囲気が一変してしまったのではないか。
特にブログは誰でも簡単にサイトのようなものが作れるようになった。
その結果、爆発的に増えたのは……
こう言っちゃ何だが、個人の交換日記レベル
もちろん中には普通のサイト並みの情報量のものもあったけど
云わば玉石混淆、「玉」と「石」の比率は言わずもがな。
「どーせ読むのはアドレス知ってる知り合いだけ」と思ってても
残念でした、検索かければ世界中から丸見えだもんね。
それに気づいたのがmixiにだいぶ流れましたが
未だに気づいてないのがツイッターで騒ぎ起こしたりするんだろうな。
それでもいったん傾いた流れは止まらないのか
ネットはいつしか普通の人のものになってしまったような。
自分にとって「もう一つの日常」だったものが
「日常がもう一つ」になってしまった――この二つの違いは大きい。
もともと現実世界でうまくいかなくてネットに逃げてきたのに
こっちにもリアルライフでそこそこうまくやってる人たちが流れてきたら
今度はどこに居場所を求めればいいんだろうか。
――でも自分は特定の誰かに褒めてもらいたくて
サイトを始めたはずじゃないはず。
たとえ読んだ人すべてが満足してはくれなくても
誰か一人、良かったと思ってくれる人がいるはず。
その一人に届けたくて今も書き続けているのだから。
言うなれば、駅前でギターをかき鳴らすストリートミュージシャン
当然足を止めてその演奏に耳を傾ける人はいない、
だけど、もしかしたらこの広い世界中
誰かが立ち止まって拍手を送ってくれるかもしれない
そう信じて今日もヘタクソな歌を歌い続けている。
だから、よければ聞いてやって
できれば一言二言つけてコインを投げてくれれば店主が喜びます。
====================================
定点観測upしました
自分一人だけ周囲から浮いているような、やけに孤立しているような。
もしかしたら、自分と他と
ネットに求めているものが違うのかもしれない。
最近はやたら「コミュニティ」とか「ソーシャル」とかいうのを
耳にするけれど、自分にとってネットは
そんな内輪だけの仲良しこよしの道具なんかじゃなくて、
もっとワールドワイドでひたむきな「自己表現」の手段だったはず。
自分がネットを始めた頃は確かにコミュニケーションのためのツールだった。
周りに同じ趣味がいなくても、ネットさえあれば世界中から
(少なくとも世界中の日本語話者から)同好の士が探せるのだから。
そこで出会った数々のサイトは、どれだけ自分がそれを好きかを
競い合っているかのようだった。
店主は昔から物書き志願だったけど
ネットが無かった頃は商業ベースに乗せるしか
自分の書いたものを大勢の人に読んでもらう術は無かった。
でもネットだったらプロにならなくても
自分の文章を人に読んでもらえるんじゃないか、
そう思って店主もサイトマスターの仲間入りをしたんだった。
あの当時のサイト持ちは、同じように
何かを強烈に語りたいという思いを持つ人ばかりだったと思う。
その頃はまだビルダーなどのソフトか、それより前だと
メモ帳にちまちまタグ打ちだったけど、
そんな手間すら苦にしないという情熱の持ち主だった。
そして、サイトマスターに対して
訪問者たちはある種の敬意を持っていた、そんな時代だった。
でも、Web2.0なんて呼ばれる時代が来ると(それも古いな;汗)
そういう雰囲気が一変してしまったのではないか。
特にブログは誰でも簡単にサイトのようなものが作れるようになった。
その結果、爆発的に増えたのは……
こう言っちゃ何だが、個人の交換日記レベル
もちろん中には普通のサイト並みの情報量のものもあったけど
云わば玉石混淆、「玉」と「石」の比率は言わずもがな。
「どーせ読むのはアドレス知ってる知り合いだけ」と思ってても
残念でした、検索かければ世界中から丸見えだもんね。
それに気づいたのがmixiにだいぶ流れましたが
未だに気づいてないのがツイッターで騒ぎ起こしたりするんだろうな。
それでもいったん傾いた流れは止まらないのか
ネットはいつしか普通の人のものになってしまったような。
自分にとって「もう一つの日常」だったものが
「日常がもう一つ」になってしまった――この二つの違いは大きい。
もともと現実世界でうまくいかなくてネットに逃げてきたのに
こっちにもリアルライフでそこそこうまくやってる人たちが流れてきたら
今度はどこに居場所を求めればいいんだろうか。
――でも自分は特定の誰かに褒めてもらいたくて
サイトを始めたはずじゃないはず。
たとえ読んだ人すべてが満足してはくれなくても
誰か一人、良かったと思ってくれる人がいるはず。
その一人に届けたくて今も書き続けているのだから。
言うなれば、駅前でギターをかき鳴らすストリートミュージシャン
当然足を止めてその演奏に耳を傾ける人はいない、
だけど、もしかしたらこの広い世界中
誰かが立ち止まって拍手を送ってくれるかもしれない
そう信じて今日もヘタクソな歌を歌い続けている。
だから、よければ聞いてやって
できれば一言二言つけてコインを投げてくれれば店主が喜びます。
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定点観測upしました
コメント
自分もツィッターを始めるべきか否か悩んでいたところ偶然この記事を見つけてとても共感を覚えました。
かつて自分が好きな漫画やゲームの二次作品を扱うサイトがいくつかありました。そして自分もそのようなサイトを展開しておりました。
しかし、互いのブログに感想などのコメントを送りあって、それなりに交流のあった方々が一人、また一人とブログを放置するようになっていき……。
どうしたのかと思えば、皆次々とツィッターを始めて、他に仲間を見つけ新たな交流を始めていたのです。
あんな「ゆるい繋がり」の何が良いのか、自分には理解できません。
感想なら、もっとがっつりと時間をかけて文章組み上げて送りたい人間ですから……。
やはり私には、「駅前でギターをかき鳴らすストリートミュージシャン」の方が性に合っている気がしました。
ツィッターは今後も見送りです。
自分を見失いそうになっていましたが、ちょっと元気出ました。
信念を貫きたいです。
ありがとうございました。
そうは言いつつも、実は友人に誘われてFBもやっているのですが
実名登録なものですから本音をぶつけることもできず
たまに当たり障りのないことを載せているだけです。
むしろ言いっぱなしも可のツイッターの方が向いていたのかもしれませんけどね。
一般のオープンなWebとSNSの大きな違いは
後者は純然たる『会員制』ということに尽きると思います。
その中で創作活動をやっている方もいるとは思いますが
読者はもちろんその『会員』の中の同じ趣味の方たちに限られてしまうんですよね。
そういう狭いコミュニティの中ではお互いに“顔見知り”だったりするので
(実際に顔は知らないかもしれませんが)
相手の趣味もだいたい判ってしまう。
そうなると、こう見えてサービス精神のある方なので
「自分の書きたいもの」より「相手の喜びそうな」ものになってしまいそうで。
でも、Webだったら相手は不特定多数かつご新規さんもあり
受け手の好みを気にせず自分の書きたいものを究められるのではないでしょうか。
これだけファン業界にツイッターやmixiなどが普及していると
その輪に加わらないと仲間外れにされてしまうのではないか
もしかしたら自分のいないところで陰口を叩かれているのでは
↑元いじめられっ子の被害妄想
と不安に思うこともありますが、
これからも交流<自己主張でやっていきたいと思います。
匿名さまも自分を信じて頑張ってください
そしてご縁があれば、お伺いできれば幸いです。