「はしかのようなもの」
2011年5月10日 時事ニュース
今日は時事ニュースがらみで2つほど。
本当は日曜の『―JIN―』の感想も書きたかったんですが
それはまた熱気と感動が冷めないうちに。
さて、この場で妹の病気のことについては
ほとんど語ってこなかったのではないでしょうか。
ガンといっても白血病のような
ポピュラーな病気であれば説明も楽だったのでは。
妹の病名は『神経線維種』という、症例の少ないものでした。
だから築地の大きい病院に行かなければなりませんでした。
判りやすく説明すれば、神経というのは
云わば電気のエナメル線のような構造をしていて
妹の場合、その内側の銅線の部分に腫瘍が出来ていました。
ただ、その周りのエナメルにあたる部分に出来る『神経鞘腫』と
区別するのが難しく、そのためには
いったん開腹して見てみなければなりませんでした。
鞘腫か繊維腫かの違いは、天と地との差
鞘腫であれば取り除くことができますが、繊維腫だと
中の「銅線」ごと切らないといけないので、結局切除は無理。
実際、開けてみたところ繊維腫だったわけですが
腫瘍そのものは良性だったのか、そのまま縫い閉じるという
いったい何のためだったのかという手術は短時間で終了。
――でも、おおざっぱな説明しか受けていない人間が
おおざっぱな説明をしているので、ボロはあるかもしれません。
何しろ姉の店主に対しての情報公開なんてこんなものでしたから。
しかし、良性だったはずの腫瘍が身体中に転移
――手術の刺激などで悪性になることもあるそう――
人生に「もしも」は禁物ですが、もしあのとき麻痺が残るの覚悟で
繊維腫を摘出していれば、妹の生命は助かったかもしれない。
彼女の死の一番の被害者はおそらく店主でしょうから。
それで大いに人生狂わされましたよ、
もし生きていてくれれば、下世話な話、学費が一人分浮いたからと
大学院に進むこともなかったですし、その結果
今みたいに人生に悩むこともなかったはず。
当然、喪失感から2次元に逃げ込むこともありませんでしたし
何より、このどうしようもない変わり者にとって
最高かつ唯一の理解者を失ってしまったんですから。
もし、神経を再生する技術が確立されていれば
摘出した個所をもう一度繋ぎなおすことができる、
その結果、摘出手術に対するハードルは低くなるはず。
だからきっと、近い将来、妹みたいなケースは無くなるのかもしれませんが
――それを素直に喜べない自分もいるのです。
それは家族の中で自分が唯一、医療に関わったことがないからかもしれません。
(母は看護師ですし、父は一時期病院に勤務していて
そこで母と出逢ったわけですから。一方の店主は
製薬会社の英語職に応募して落とされました;爆
まぁ、すでに今の会社の内定はもらっていましたが)
自分の大切な人を難病で失った医学者が
「自分のような悲しみを人に味わわせたくない」と研究に打ち込み
結果、治療法を見つけ出す、なんてのは良く出来た美談ですが
自分はむしろ、一時期逆のことを考えていました
「自分一人がこの哀しみから抜け出せないのなら
世界中が不幸になればいい」と。
――正直、『黒い未亡人』の気持ちは判らないでもないです。
もちろん彼女たちの第一の目的は復讐でしょうけど
そういう「不幸のお裾分け」的な面もあるのでは。
まぁ、そこまで過激なことは言いませんけど
もしそれが将来、あまりにも簡単に治る病気になってしまったら
あのときの、そして今の自分の哀しみが
値崩れを起こしてしまうような気がするのです。
同じように、昔は死に至る病であっても
現在ではわりと簡単に治せてしまうものの一つに、はしかがあるかと。
かつてはそれが大流行すると疫病として多くの死者が出ましたが
今は流行っているというニュースも、エイズやエボラほどの
扱いにはなりませんよね。
ワクチンで予防できますし、もしなったとしても治療は可。
おかげで今では「はしかのようなもの」なんて言葉もあるほど。
つまり、誰でも一時期熱中はしても
その後ころっとその熱が冷めてしまうもののたとえですが
その言葉自体、はしかが死病でなくなった近代以後のものですよね。
でもそれを聞いたかつてのはしかの犠牲者はどう思うのか。
自分たちの命を奪った疫鬼をそんなに矮小化されたら
浮かばれるものも浮かばれないでしょうに。
確かに医学の進歩は喜ばしいことです。
でも、それだけでは店主の心は癒せないんです。
――いったいどうすれば治せるんですかねぇ、この心の傷は。
本当は日曜の『―JIN―』の感想も書きたかったんですが
それはまた熱気と感動が冷めないうちに。
さて、この場で妹の病気のことについては
ほとんど語ってこなかったのではないでしょうか。
ガンといっても白血病のような
ポピュラーな病気であれば説明も楽だったのでは。
妹の病名は『神経線維種』という、症例の少ないものでした。
だから築地の大きい病院に行かなければなりませんでした。
判りやすく説明すれば、神経というのは
云わば電気のエナメル線のような構造をしていて
妹の場合、その内側の銅線の部分に腫瘍が出来ていました。
ただ、その周りのエナメルにあたる部分に出来る『神経鞘腫』と
区別するのが難しく、そのためには
いったん開腹して見てみなければなりませんでした。
鞘腫か繊維腫かの違いは、天と地との差
鞘腫であれば取り除くことができますが、繊維腫だと
中の「銅線」ごと切らないといけないので、結局切除は無理。
実際、開けてみたところ繊維腫だったわけですが
腫瘍そのものは良性だったのか、そのまま縫い閉じるという
いったい何のためだったのかという手術は短時間で終了。
――でも、おおざっぱな説明しか受けていない人間が
おおざっぱな説明をしているので、ボロはあるかもしれません。
何しろ姉の店主に対しての情報公開なんてこんなものでしたから。
しかし、良性だったはずの腫瘍が身体中に転移
――手術の刺激などで悪性になることもあるそう――
人生に「もしも」は禁物ですが、もしあのとき麻痺が残るの覚悟で
繊維腫を摘出していれば、妹の生命は助かったかもしれない。
彼女の死の一番の被害者はおそらく店主でしょうから。
それで大いに人生狂わされましたよ、
もし生きていてくれれば、下世話な話、学費が一人分浮いたからと
大学院に進むこともなかったですし、その結果
今みたいに人生に悩むこともなかったはず。
当然、喪失感から2次元に逃げ込むこともありませんでしたし
何より、このどうしようもない変わり者にとって
最高かつ唯一の理解者を失ってしまったんですから。
もし、神経を再生する技術が確立されていれば
摘出した個所をもう一度繋ぎなおすことができる、
その結果、摘出手術に対するハードルは低くなるはず。
だからきっと、近い将来、妹みたいなケースは無くなるのかもしれませんが
――それを素直に喜べない自分もいるのです。
それは家族の中で自分が唯一、医療に関わったことがないからかもしれません。
(母は看護師ですし、父は一時期病院に勤務していて
そこで母と出逢ったわけですから。一方の店主は
製薬会社の英語職に応募して落とされました;爆
まぁ、すでに今の会社の内定はもらっていましたが)
自分の大切な人を難病で失った医学者が
「自分のような悲しみを人に味わわせたくない」と研究に打ち込み
結果、治療法を見つけ出す、なんてのは良く出来た美談ですが
自分はむしろ、一時期逆のことを考えていました
「自分一人がこの哀しみから抜け出せないのなら
世界中が不幸になればいい」と。
――正直、『黒い未亡人』の気持ちは判らないでもないです。
もちろん彼女たちの第一の目的は復讐でしょうけど
そういう「不幸のお裾分け」的な面もあるのでは。
まぁ、そこまで過激なことは言いませんけど
もしそれが将来、あまりにも簡単に治る病気になってしまったら
あのときの、そして今の自分の哀しみが
値崩れを起こしてしまうような気がするのです。
同じように、昔は死に至る病であっても
現在ではわりと簡単に治せてしまうものの一つに、はしかがあるかと。
かつてはそれが大流行すると疫病として多くの死者が出ましたが
今は流行っているというニュースも、エイズやエボラほどの
扱いにはなりませんよね。
ワクチンで予防できますし、もしなったとしても治療は可。
おかげで今では「はしかのようなもの」なんて言葉もあるほど。
つまり、誰でも一時期熱中はしても
その後ころっとその熱が冷めてしまうもののたとえですが
その言葉自体、はしかが死病でなくなった近代以後のものですよね。
でもそれを聞いたかつてのはしかの犠牲者はどう思うのか。
自分たちの命を奪った疫鬼をそんなに矮小化されたら
浮かばれるものも浮かばれないでしょうに。
確かに医学の進歩は喜ばしいことです。
でも、それだけでは店主の心は癒せないんです。
――いったいどうすれば治せるんですかねぇ、この心の傷は。
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