エルサルバドル内戦を知っていますか?
2010年2月10日 映画
ずいぶん前に録画した映画『イノセント・ボイス~12歳の戦場~』を
今日は雨で犬の散歩も行けないのでじっくりと観賞。
この映画は前に劇場公開時にも取り上げましたが
結局見に行けず、前にも一度BSで放映したのを録画失敗
三度目の正直で見ることができました。
内戦のさなか、12歳になったら政府軍に徴兵されてしまう
中米エルサルバドルの子供たちの眼を通して描かれた戦争、
それだけでもCHファンとしては見なければと思いましたから。
80年代のエルサルバドル、11歳の少年チャバの家は
父親は内戦下の祖国から逃げ出し、彼が一家の大黒柱とならなければいけない。
彼が暮らすのは政府軍とゲリラの狭間に位置する小さな町。
昼間こそ兵士がうろうろしてる以外は平和な町ですが
日が落ちて外出禁止になると一変、非武装の住民たちを巻き込んで
軍とゲリラとの間で銃撃戦に・・・
そのシーンだけでも序盤にしていきなり度肝を抜かれました。
CH二次で撩の過去をいろいろ考察してみても
結局、現実を知らないまま知ったかぶって知識をこねくり回してただけじゃないか。
もちろん、ここに描かれてるのはあくまで希釈された現実に過ぎませんが
それですら知ってるのと知らないのとでは大きな違いなんですから。
それでも、そこに描かれているのは悲惨な戦争ばかりかというと
そうではなく、友達と遊んだり、淡い初恋があったり
家計を助けるために大人にまじって働いたりという
チャバの11歳らしい日常がそこにありました。
しかし、そんな日常にもひたひたと戦争の影が忍び寄り
しばらくぶりに帰ってきた学生の叔父ベトがゲリラの一員となっていたり
学校にいきなり兵士がやってきて子供たちを強制的に連行していったり
とうとう白昼、学校でゲリラと軍との間で交戦となり
それなりに小康状態を保っていた日常は一気に戦時下となります。
そんな中、大人たちはチャバがベトから貰ったラジオを取り上げる
(ゲリラのラジオの電波が入り、放送禁止の歌が聞ける)母親のように
そのほとんどが生き抜くために軍の横暴に従わざるを得ませんが
禁止に反対する教師や、軍に異を唱える神父のように
ゲリラのような過激派ではないながらも、穏健に
自らの良心に従って体制に反抗する一握りの人々も確かに存在していました。
そして12歳になったチャバも徴兵されないために
仲間たちとあの手この手で軍から逃れようとしますが
最後には彼らと一緒にゲリラのもとに逃げ込もうとします。
叔父のベトの言葉では、ゲリラの支配地域は『解放区』なのですから。
しかし彼らがそこで目にしたのは、一足先にゲリラに逃げ込んだ友達の姿――
軍帽に赤いスカーフ、それはゲリラの兵士と同じ格好。
しかも「翌朝指示を出す」という言葉が暗示しているのは
結局はゲリラも政府軍も同じ穴のムジナということ、
どっちにしても12歳の子供たちが銃を持たされるという現実。
しかもこれは事実を元にした話だということ。
実際、脚本のオスカル・トレスは少年時代に
エルサルバドルからの亡命を経験しています。
なので、チャバらの逃げ込んだゲリラのキャンプが急襲された後の展開は
手に汗を握りっぱなしでした。まさかここで殺されてしまうのではないか、
この物語を語ってるのは生き残ったチャバ≒オスカルではないのかと。
結局、映画自体は個人的なハッピーエンドで締めくくられますが
それだってここに映し出されている悲惨な内戦の中では
わずかな救いにもなりません。
と、考察もせずに粗筋ばかりをずらずらっと並べてしまいましたが
これを見てしまったらもう何も考えられませんって。
ネタを拾うなどという短絡的な収穫のある話ではありません。
でもこの映画が何かの土台になって、いつかそこから見えてくるものが
必ずあると思います。
とりあえず、一度見てみてください。
幼くして銃を手にし、戦場で数多くの命を奪ってきた
我々には想像もつかない撩の内面を、心の闇を
それでも少しでも理解したいと思うんだったら。
もちろん、CHに興味が無くても数多くの人に見てもらいたい映画です。
知ってるのと知らないのとでは大きな違いなんですから。
今日は雨で犬の散歩も行けないのでじっくりと観賞。
この映画は前に劇場公開時にも取り上げましたが
結局見に行けず、前にも一度BSで放映したのを録画失敗
三度目の正直で見ることができました。
内戦のさなか、12歳になったら政府軍に徴兵されてしまう
中米エルサルバドルの子供たちの眼を通して描かれた戦争、
それだけでもCHファンとしては見なければと思いましたから。
80年代のエルサルバドル、11歳の少年チャバの家は
父親は内戦下の祖国から逃げ出し、彼が一家の大黒柱とならなければいけない。
彼が暮らすのは政府軍とゲリラの狭間に位置する小さな町。
昼間こそ兵士がうろうろしてる以外は平和な町ですが
日が落ちて外出禁止になると一変、非武装の住民たちを巻き込んで
軍とゲリラとの間で銃撃戦に・・・
そのシーンだけでも序盤にしていきなり度肝を抜かれました。
CH二次で撩の過去をいろいろ考察してみても
結局、現実を知らないまま知ったかぶって知識をこねくり回してただけじゃないか。
もちろん、ここに描かれてるのはあくまで希釈された現実に過ぎませんが
それですら知ってるのと知らないのとでは大きな違いなんですから。
それでも、そこに描かれているのは悲惨な戦争ばかりかというと
そうではなく、友達と遊んだり、淡い初恋があったり
家計を助けるために大人にまじって働いたりという
チャバの11歳らしい日常がそこにありました。
しかし、そんな日常にもひたひたと戦争の影が忍び寄り
しばらくぶりに帰ってきた学生の叔父ベトがゲリラの一員となっていたり
学校にいきなり兵士がやってきて子供たちを強制的に連行していったり
とうとう白昼、学校でゲリラと軍との間で交戦となり
それなりに小康状態を保っていた日常は一気に戦時下となります。
そんな中、大人たちはチャバがベトから貰ったラジオを取り上げる
(ゲリラのラジオの電波が入り、放送禁止の歌が聞ける)母親のように
そのほとんどが生き抜くために軍の横暴に従わざるを得ませんが
禁止に反対する教師や、軍に異を唱える神父のように
ゲリラのような過激派ではないながらも、穏健に
自らの良心に従って体制に反抗する一握りの人々も確かに存在していました。
そして12歳になったチャバも徴兵されないために
仲間たちとあの手この手で軍から逃れようとしますが
最後には彼らと一緒にゲリラのもとに逃げ込もうとします。
叔父のベトの言葉では、ゲリラの支配地域は『解放区』なのですから。
しかし彼らがそこで目にしたのは、一足先にゲリラに逃げ込んだ友達の姿――
軍帽に赤いスカーフ、それはゲリラの兵士と同じ格好。
しかも「翌朝指示を出す」という言葉が暗示しているのは
結局はゲリラも政府軍も同じ穴のムジナということ、
どっちにしても12歳の子供たちが銃を持たされるという現実。
しかもこれは事実を元にした話だということ。
実際、脚本のオスカル・トレスは少年時代に
エルサルバドルからの亡命を経験しています。
なので、チャバらの逃げ込んだゲリラのキャンプが急襲された後の展開は
手に汗を握りっぱなしでした。まさかここで殺されてしまうのではないか、
この物語を語ってるのは生き残ったチャバ≒オスカルではないのかと。
結局、映画自体は個人的なハッピーエンドで締めくくられますが
それだってここに映し出されている悲惨な内戦の中では
わずかな救いにもなりません。
と、考察もせずに粗筋ばかりをずらずらっと並べてしまいましたが
これを見てしまったらもう何も考えられませんって。
ネタを拾うなどという短絡的な収穫のある話ではありません。
でもこの映画が何かの土台になって、いつかそこから見えてくるものが
必ずあると思います。
とりあえず、一度見てみてください。
幼くして銃を手にし、戦場で数多くの命を奪ってきた
我々には想像もつかない撩の内面を、心の闇を
それでも少しでも理解したいと思うんだったら。
もちろん、CHに興味が無くても数多くの人に見てもらいたい映画です。
知ってるのと知らないのとでは大きな違いなんですから。
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