定点観測をupしました。
門外漢が語るまいと思ってましたが
もうあれから15年も経って未成年はほとんど覚えてないでしょうし
だからこそテレビ越しであってもそれを見てきた人間が語らないと。

店主にとって阪神大震災は1995年というannus horribilis(災厄の年)
の出来事として地下鉄サリン事件と結び付けられて記憶しています。
そして、これはある話のあとがきとして用意していたことなんですが
終末的未来観というのがこの年を境にフィクションとしての魅力を
失ってしまったのではないだろうかと。
いわゆる「文明の荒廃した近未来」、『北斗の拳』とか『マッドマックス』とか
ああいう世界観です。そういえばそんな映画も最近見ませんよね。
それまではそんな廃墟としての未来に魅力を感じることができた、
最近の言葉でいえば“萌える”ことができた。
なぜならそれはどこかで自分には起こりえないものだと
思っていたからかもしれません。でもそれは現実に起きた。
テレビに映し出される被災地はまさに「文明の荒廃した」世界でしたし
狂信者の暴走はその妄想を現実化しようとした末のこと。
それがいつ自分たちにも起こりうる現実だと気がついてしまったら
空想の世界で萌えることももはや不可能でしょう。
それが日本だけでなく世界規模で起こったのが9.11なんでしょうが。

あのとき、神戸を襲った烈震とともに
日本中で何かががらがらと音を立てて崩れたような気がします。
でもそれから15年経って、それに代わりうるものを
私たちは打ち立てることができたのでしょうか。
――今もこの国は、瓦礫の山の中なのかもしれません。

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