裁判員裁判、初の判決 求刑16年に対し懲役15年(日本経済新聞)
2009年8月6日 時事ニュース
量刑に相場なんて本来あってはいけないのだとは思いますが
一般的に「求刑の8掛け」などという言葉を耳にしたりします。
それに比べると、今回の判決は重いものだと思いましたが
裁判員制度が始まった時点で、量刑が以前より重くなることは
予想可能だったのではないでしょうか。
「司法に市民感覚を持ち込む」のが裁判員制度の狙いでしょうが
そもそも「市民感覚」というのが一方的なものなのかもしれません、
被害者側に大きく傾いたものだと。
犯罪を犯すような人間は自分たちとは別もの、
そう思い込むことでようやく社会の安定と
心の安寧を保てているのかもしれません。
でも、本当に彼らは我々とは全く違う人間なんでしょうか?
人は、犯罪に巻き込まれるのと同じくらいの確率で
もしかしたら巻き込む側に回るのかもしれないのに。
まして、今回のような近隣トラブルならなおさら。
じゃあ店主はどうなのかというと
一歩間違えたら自分も犯罪者になってしまうのではないかという自覚はあります。
というのも最近、店主によく似た犯罪者が多すぎる。
いわゆる無差別通り魔事件などが起きるたびに、ニュースでは
容疑者の生い立ちなどを引っ張ってきて何とか説明しようとしますが
そこで取り上げられる性格はまさしく店主そのもの。
地味で引っ込み思案で友人もいなくて、クラスでは影の薄いタイプ。
そんな人間が人生追い詰められて・・・というのがよく聞く話ですが
それを聞かされると自分で自分が怖くなります、いつか暴発するんじゃないかと。
こんな話をぽろっと親に漏らしたら、本気で怒られました。
やっぱり自分の娘と犯罪者を結びつけたくないんですね。
親としては当然のことだと思いますが。
でも、そうやって共感を排除したところに
真に公平な裁きというのは存在し得るのでしょうか?
被害者側の心に寄り添うのはある意味簡単です。
でも、それと同じくらい「自分がもし加害者になってしまったら?」ということを
考えることが必要とされるのではないでしょうか?
もちろん、たとえ誰かを殺したいほど憎んでいたとしても
実際の行動に踏みとどまるのが真人間であり
店主もまだそっちに踏みとどまっています。
ただ、真人間と人でなしの間を隔てる壁は
我々が思う以上に低く、脆いものなのかもしれません。
一般的に「求刑の8掛け」などという言葉を耳にしたりします。
それに比べると、今回の判決は重いものだと思いましたが
裁判員制度が始まった時点で、量刑が以前より重くなることは
予想可能だったのではないでしょうか。
「司法に市民感覚を持ち込む」のが裁判員制度の狙いでしょうが
そもそも「市民感覚」というのが一方的なものなのかもしれません、
被害者側に大きく傾いたものだと。
犯罪を犯すような人間は自分たちとは別もの、
そう思い込むことでようやく社会の安定と
心の安寧を保てているのかもしれません。
でも、本当に彼らは我々とは全く違う人間なんでしょうか?
人は、犯罪に巻き込まれるのと同じくらいの確率で
もしかしたら巻き込む側に回るのかもしれないのに。
まして、今回のような近隣トラブルならなおさら。
じゃあ店主はどうなのかというと
一歩間違えたら自分も犯罪者になってしまうのではないかという自覚はあります。
というのも最近、店主によく似た犯罪者が多すぎる。
いわゆる無差別通り魔事件などが起きるたびに、ニュースでは
容疑者の生い立ちなどを引っ張ってきて何とか説明しようとしますが
そこで取り上げられる性格はまさしく店主そのもの。
地味で引っ込み思案で友人もいなくて、クラスでは影の薄いタイプ。
そんな人間が人生追い詰められて・・・というのがよく聞く話ですが
それを聞かされると自分で自分が怖くなります、いつか暴発するんじゃないかと。
こんな話をぽろっと親に漏らしたら、本気で怒られました。
やっぱり自分の娘と犯罪者を結びつけたくないんですね。
親としては当然のことだと思いますが。
でも、そうやって共感を排除したところに
真に公平な裁きというのは存在し得るのでしょうか?
被害者側の心に寄り添うのはある意味簡単です。
でも、それと同じくらい「自分がもし加害者になってしまったら?」ということを
考えることが必要とされるのではないでしょうか?
もちろん、たとえ誰かを殺したいほど憎んでいたとしても
実際の行動に踏みとどまるのが真人間であり
店主もまだそっちに踏みとどまっています。
ただ、真人間と人でなしの間を隔てる壁は
我々が思う以上に低く、脆いものなのかもしれません。
コメント