BSでやっていたのでついつい見てしまいました。
だって1964年なんだもん。ゼロナイファンにとっては記念すべきアニバーサリーイヤーでしょう。

巨匠・市川崑監督の映像美もさることながら、ついつい目が行ってしまうのは、それぞれのメンバーの出身国の選手たち【爆】開会式の入場行進も、やれフランスだそれイギリスだとそれだけで興奮状態。思わずそれっぽい姿を探してしまったり【激爆】
思えばまだまだ日本にとって外国というものが身近ではなかった時代。そんな中、各国から集まったサイボーグたちという設定はかなり斬新だったはず。

東京五輪の時は、東西ドイツは統一行進を行ってたんですね。最近お隣の分断国家でやったりやらなかったりしているような。旗もおなじみのドイツの三色旗に五輪のマークを付けたもの。そういえば映画の中でも選手に東西の区別はなく、表彰式の際も国家の代わりに第九を流してました。
ですがその一方で依然としてベルリンの壁は存在し、当時もそれを越えようとしていくつもの尊い命が失われたのも事実。そんな中の統一チーム“ごっこ”は、004じゃなくとも「けっ、そんなの偽善じゃねぇか」と思ってしまいます。ちなみに本当の意味での統一チームによる参加となったのは、確か92年のバルセロナからだったでしょうか。
USAの大選手団の直後にUSSR・ソビエト連邦がケンカを売るようにまた大選手団で入場してくるというように、昔懐かしい冷戦を彷彿とさせる平和の祭典でもありました。

そんな大国の選手団と同じくらい、市川監督がスポットを当てていたのはアフリカの小国。各国が相次いで独立して『アフリカの年』と呼ばれたのが1960年。だから64年の東京大会では今回が初参加というチームもかなりおりました。各国鮮やかな民族衣装を身にまとっての行進は今も同じ。しかしまだまだほんの数人のみのさみしい入場でした。カメルーンなんて今ではサッカーの強豪なのに・・・。

でも、オリンピックを通して映し出されたのは当時の東京の、そして日本の光の部分。まだまだ当時の日本には影がまだ残っていたのでは、とジョーの身の上を思うたびに考えてしまうのですが。オリンピックを間近に控えての国を挙げての大興奮を、不良少年島村ジョーはどのように眺めていたんでしょうか?

といっても、やはりオリンピックの掲げる理想をゼロナイファンであれば素直に信じていたい。閉会式の絵は良かった、毎回おなじみですが、各国の選手が国の違い関係なしにみんな一緒に入場してくる、そんな光景が彼ら9人の結束と重なって見えました。何でこれが競技場の外で未だに実現されないものか。
最後にスクリーン(うちでは未だにブラウン管)に映し出された「この作りだされた平和を夢のままにしていいのだろうか」
という言葉にゼロナイと相通じるものを感じたのは店主だけではないはず。

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ってそろそろこのブログに『サイボーグ009』カテゴリ作った方がいいかも。
まだまだ増えるだろうし、この状況じゃ【笑】

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