CSルイスといえば店主の業界では『Allegory of Love』などで知られる中世文学の大御所、と答えなきゃならないんでしょうけど、やっぱりナルニアでしょう。
どちらもファンタジーの古典であり、しかも柳の下のドジョウのように映画化された(それもディズニー!)とあって、指輪物語と比較されるのはもはや宿命ですけど、物語の構造上、二つを同列に論じるのはどうかなぁとも思うんです。
指輪物語は現実世界とは隔絶した異世界を描いてますが、ナルニアは同じ異世界とはいえ、現実世界とは洋服ダンスでつながっていて、現実世界に属する主人公がそこに入り込むことによって物語が始まるというパターン。むしろこっちの方がそれ以後のファンタジーに与えた影響は大かもしれませんね。ハリポタもある意味そうだし。

ナルニアを語る上で必ずと言っていいほどくっついてくる枕言葉は『キリスト教ファンタジー』。手元の電子辞書にもありましたもの。確かにアスランの死→復活はまんまキリストでしたが、そっち方面ことは論じつくされてるのであえて別目線で。
この手の現実世界と地続きの異世界、広い意味でのパラレルワールドは現実と呼応してなければならないというのが店主の持論。この点で惜しいことになってるファンタジーは数知れず。ナルニアで呼応している現実は、第二次世界大戦下のイギリス。ペベンシー兄妹が田舎のお屋敷に来たのも、ロンドンからの疎開ですもの。
戦争から逃れてきたのに、異世界とはいえ戦争に巻き込まれるという皮肉。最初、長女のスーザンが係り合いになる前に現実世界に戻ろうと言い出したとき、やはりイギリスのミュンヘン条約における宥和政策(という名の事なかれ主義)が連想されましたし、『100年の冬』はヨーロッパを席巻していたファシズムであり、それに対抗するアスランの軍勢はまさしくレジスタンス。ビーバー夫妻のダムが襲撃され、そこから脱出するために地下通路をひた走るさまは、パリの下水道を思い出させました。
つまりナルニアの戦いは、子供たちにとっての第二次大戦だったのではないでしょうか。大人たちが戦地で「自由と民主主義のために」戦ったように、子供たちもまた異世界で、その地を支配する圧政に立ち向かう。それってキリスト教云々というよりかなり軍国主義的プロパガンダじゃないっすか。・・・敗戦国にはある意味ありえないお話かもしれません。まぁ、ハリウッド映画なんてのはアメリカの正義礼賛ムービーですが。

吹き替えという点では、かなり満足です。
この手の大作映画ではやたらと顔出しの俳優さんを使いたがる傾向にありますが、ナルニアは脇をしっかりベテランの声優さんで固めてくれたところに安心感がありました。ビーバーのだんなさんの麦人さんにはほのぼのさせられましたし、フォーンのタムナスさんには(まだベテランではないですが)関智一さん、そして狐役にまさか池田秀一さんとは!コナンで最近毎週出てたから耳が記憶してました 原語ではルパート・エヴェレットだったのでこのくらい二枚目ヴォイスじゃなくてはいけないでしょう。
もう一人の主役ともいうべきアスランは津嘉山正種氏。この人は店主の中では声優の範疇です【笑】やはり原語での吹き替えを担当したリーアム・ニーソンの声もやってらっしゃいますし、吹き替えマニア的に適任でしょう。
人間以外のキャラクターを演じるという点では、リアルな演技というよりむしろ典型的な、誇張された表現を要求されるという点もあるかとは思いますので、やっぱり本職の声優さんに任せて正解でしょう。
一方の白い魔女は大地真央。うーん、確かにあの非人間的な冷たい感じの演技は感情過多な本職にはできないかもしれませんが・・・声ヲタ的には榊原良子さんあたりにやってもらいたかったような、クシャナ殿下の感じで。
魔女のゲシュタポである狼の声は遠藤憲一だったんですね。
子供たちの声は、オーディションで実年齢に近いキャストが集められたらしいです。子供声優はハリポタで懲りたんですが(脇役の子供声の大人声優さんたちとのギャップがありすぎる)ペベンシー兄妹役の4人は決してベテランの皆さんとも遜色なく渡り合ってました。

でも、これを実写でやってよかったのだろうか・・・
エルフやドワーフ、もちろんホビットたちが中心の指輪物語と違い、ナルニアでは動物そのものが大きな役割を果たすものですから。ヘタをすればアスランも白戸家のお父さんと同レベルになってしまう危険性が【爆】

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