やりゃできるじゃん、キムタク
2007年12月31日 映画
木村拓哉という俳優が嫌いだ(あえて現在形)何やらせても『キムタク』でしかないからだ、パイロットだろうが検事だろうが魔法使いだろうが。
一方、店主のいう『演技派』の定義は役柄によってそのキャラクターを一変させてしまう俳優である。そのキャラクターの引き出しは多ければ多いほど、かけ離れていればかけ離れているほどいい。できれば一人の人間でありながら、まったく正反対の側面を持っているような役を演じられれば文句無しだろう 冴羽撩とか冴羽撩とか冴羽撩とか
だが『武士の一分』の三村新之丞がキムタクらしく見えなかったのはヅラのせいばかりではないだろう。普段のキムタクらしい軽妙さはもちろん、盲目となってしまい総てを失ってしまうのではないかという苦悩、そして夫のためとはいえ不義を働いた妻への凍りつくような視線、これ全部キムタクですよ!
そもそも普通のドラマでもこれくらいの演技のバリエーションがあるという突っ込みもあるかもしれません。最近食わず嫌いでほとんど見ませんから、彼のドラマは。
そもそも盲目役というのが難しいよな、しかも開眼で。自分じゃ見えているのに見えてない目つきをしなければならないんですから。
つまり、早い話がいくらキムタクがダイコンだからって彼を責めるのはもしかしたらお門違いなんじゃないか、ということ。
日本を代表する名監督、山田洋次だからここまでやれたのかもしれない。
だから他のディレクターも「キムタク何するものぞ!」ぐらいの気持ちで演技指導つけられれば、彼の新たな魅力が引き出せるのかもしれません。
それにしても桃井かおりもどこ行ってもかおり姐さんだなぁ。もうこの人はそれでいいのかもしれませんが【爆】
そして、最後にふと気になったのが鳥籠、というアイテム。
山田洋次×藤沢周平三部作は微妙に題材がリンクし続けているように思えるんですよね。『上意討ち』というモチーフは『たそがれ清兵衛』から『隠し剣鬼の爪』へ、敵が実は友人であったという設定を変えて。夫のために上司に体を許してしまう(美人)妻というのも『隠し剣〜』にもあったような。
そしてその輪を閉じるものが鳥籠ではないかと。そういえば清兵衛が内職で作ってましたよね。え、あれは虫籠だったっけ?・・・どうせ似たようなもの、言わなきゃ判らないって【爆】
一方、店主のいう『演技派』の定義は役柄によってそのキャラクターを一変させてしまう俳優である。そのキャラクターの引き出しは多ければ多いほど、かけ離れていればかけ離れているほどいい。できれば一人の人間でありながら、まったく正反対の側面を持っているような役を演じられれば文句無しだろう 冴羽撩とか冴羽撩とか冴羽撩とか
だが『武士の一分』の三村新之丞がキムタクらしく見えなかったのはヅラのせいばかりではないだろう。普段のキムタクらしい軽妙さはもちろん、盲目となってしまい総てを失ってしまうのではないかという苦悩、そして夫のためとはいえ不義を働いた妻への凍りつくような視線、これ全部キムタクですよ!
そもそも普通のドラマでもこれくらいの演技のバリエーションがあるという突っ込みもあるかもしれません。最近食わず嫌いでほとんど見ませんから、彼のドラマは。
そもそも盲目役というのが難しいよな、しかも開眼で。自分じゃ見えているのに見えてない目つきをしなければならないんですから。
つまり、早い話がいくらキムタクがダイコンだからって彼を責めるのはもしかしたらお門違いなんじゃないか、ということ。
日本を代表する名監督、山田洋次だからここまでやれたのかもしれない。
だから他のディレクターも「キムタク何するものぞ!」ぐらいの気持ちで演技指導つけられれば、彼の新たな魅力が引き出せるのかもしれません。
それにしても桃井かおりもどこ行ってもかおり姐さんだなぁ。もうこの人はそれでいいのかもしれませんが【爆】
そして、最後にふと気になったのが鳥籠、というアイテム。
山田洋次×藤沢周平三部作は微妙に題材がリンクし続けているように思えるんですよね。『上意討ち』というモチーフは『たそがれ清兵衛』から『隠し剣鬼の爪』へ、敵が実は友人であったという設定を変えて。夫のために上司に体を許してしまう(美人)妻というのも『隠し剣〜』にもあったような。
そしてその輪を閉じるものが鳥籠ではないかと。そういえば清兵衛が内職で作ってましたよね。え、あれは虫籠だったっけ?・・・どうせ似たようなもの、言わなきゃ判らないって【爆】
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