昨日はいとこのお姉ちゃんの結婚式でした。
小さい頃から「お姉ちゃん」と慕ってきた、そして妹を亡くしてからは実の姉妹のように仲よくしてもらっていた彼女がお嫁に行ってしまうなんて、寂しいやらちょっと信じられないやら。
しかし店主、感傷に浸っているヒマはありませんでした。
店主に課せられた役目はカメラ係。式場を見てもプロのカメラマンなどいない様子、となると店主が自慢のデジカメで式をばっちり記録するしかない!
(ちなみにビデオカメラは実弟の役目)
そんなわけでやれ甥っ子たちの花束贈呈があれば下座からステージに近づいてパチリ、ケーキご入刀とあらばご馳走そっちのけでパチリといちいち感動していられませんでした。常に頭にあるのはシャッターチャンスのみ。ま、そのほうが店主らしいですがね。

式はわざわざ教会の牧師さんを呼んできての本格派。(意外と偽牧師ってのが多いらしいのよ)それで引き合いに出された聖書の一節というのが、実は先の論文を書くにあたって多少かじったとこ。
ちょうど論文書くにあたって、宗教改革期のイギリスの聖職者によって書かれた「夫婦生活の心得」みたいな本の原典当たる必要があってちょっと調べたんですよ。
確かコリント書だったっけな、夫は妻を、キリストが教会にするように大切にしなさい。妻は夫を、教会がキリストにするように仕えなさいというところ。
それってひっくり返せば、妻にとって夫は文字通りの『主人』ってことだし、夫が妻を大事にすべきというのも妻のほうがか弱い、劣った存在であるから大事にしろということで結局はキリスト教って男尊女卑じゃねぇ?と説教聞きながら思ってしまいました。
でもその当時、純潔を以て最善となすカトリックからプロテスタントに移行するにあたって、夫婦の価値というものが重要視されてきたんですよね。
お説教でも神がアダムのためにイヴを作るにあたって(この順番そのものが男尊女卑なんですが)人は一人でいるのは良くないとのたまわったなんてことを言ってましたが 大きなお世話だ つまりは「夫婦というものは人間にとって一番最初の関係性なのだ、故に尊し」というのがプロテスタントの教えだったんだよなぁ、
と結婚式そのものよりもそんなことに感動しているんですから、店主は【爆】

その後は主役不在の、親戚だけの二次会に突入するわけで、もう田舎のオヤジたちがうるさいのなんの。酒飲んでクダまいて、カラオケ始まっちゃって。
その間店主はというと、一人テレビの前でGのCS敗退にヤケ酒【爆】こんな目出たい日になんで負けるんだジャイアンツ。
そして親戚連中があらかた帰ったところで説教好きの叔父につかまり、店主@ドクター2年がこれから先進むべき道について滔々と説かれてしまいました。
だけど酒の上の説教だから、店主をいいように利用している教授をサギだと切って捨てたかというと(ちなみにこの叔父、警察官です)もはや退路を断たれた店主に「行くところまで行っちゃえ」と発破をかけたりと論旨が二転三転。
でもいいんだ、ウチの学校は就職先の面倒は見てくれないことは判ってるし、だったら自分の道は自分で切り開くしかない、っていやな現実を思い出してしまったよ。
ああ、研究計画書書かなきゃ・・・それよりまず、今週はゼミ発表なんだよ【泣】

とりあえず現実逃避に、定点観測に小ネタupいたします。

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