アカデミー賞の授賞式が近いからか、最近各局の映画もかなり気合入ってます。なんで発表2本も抱えてるくせに映画三昧の週末になりそうです。といっても毎日酒かっくらってはいられないですが(二日連続で飲んだことないし←下戸)

昨年、福井晴敏の映画が脚本含めて3本公開されたとき、店主(親子)が選んだのは『亡国のイージス』でした。うん、あっちの方が面白かったような。キャストも地味な分店主好みだったし、『ローレライ』は戦闘シーンがいかにもCG【苦笑】そりゃ本物のイージス艦使えた『亡国』と比べちゃ可哀相ですが。
さて、ストーリーのカギを握る『ローレライ』の仕組みにちょっとデジャヴ。普段は潜水艦内部に格納されていて、任務時には係留ワイヤーのみで本艦と繋がる形となる。そして搭乗員は少年少女といってもいい男女二人、って・・・。
しかもその少女には兵器となるような能力が備わっていて、彼女の力を狙う悪漢は軍服ばかりの艦内で唯一スーツ姿の丸眼鏡、って・・・
高州大尉がムスカに見えてしまいました。
良くも悪くも福井晴敏はアニメ等のサブカルの影響受けてる作家だなと改めて思いました。いや、店主だってこんなことやっててジブリの、特にラピュタの影響を受けてないとはいえませんが。

だが戦後60年近く、戦場の現実を語るメディアは日本においてサブカルしかなかったんじゃないでしょうか。小説や映画といったメインストリームの文化で語られる戦争は「戦争は悲惨なものです、平和が一番」というノリでしかなかった。そこには友情もあって愛もあって、でもやっぱり人が死ぬ、悲惨なものだというハリウッドの戦争映画ではおなじみの『現実』はあくまで宇宙戦艦やロボットの出てくる架空の戦争という形でしか描かれなかった。
それが戦後60年経って、ようやく『亡国のイージス』などリアルな視線で戦争を語りうる作品が出てきた(アニメではすでに93年にP2で語られていたが)のは、まず60年という『時効』を迎えたということもあるかもしれないが、
もう一つはサブカルがいまや日本のメインストリーム・カルチャーの一つとなり、福井晴敏のようなサブカルの影響を真正面から受けた作家がエンターテインメントの王道に名乗りを挙げた、ということもあるかもしれない。

もちろんサブカルで語られている戦争というのは、平和ボケしたオタクの妄想でしかないのかもしれない。でもこの60年、それしかチャンネルがなかったのも事実だ。そして今、この一国平和主義にひびが入りつつあるこの現在において、たとえサブカルのフィルターを通してでも戦争について考えるべきなのではないか。あくまでそれは入り口なのだから。

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