『セーラー服と機関銃』総括
2006年11月24日 TVさんざCH業界に火をつけといて自分は沈黙を決め込んでましたが
だって次第にストーリー上の制作サイド的に押さえてもらいたいであろうツボと
CHファン的に勝手に楽しみたい萌えどころとが乖離していってしまった感があるので。ドラマがシリアス展開に突っ走っているのに横道にそれるのもどうかと。
やっぱり、最期はああなっちゃうのね。
確かにそこから先の未来というのは妄想しようにも妄想の域を得ない、
つまりリアリティのない夢物語になってしまう。
だったらむしろ「想い出は綺麗なままで」いてもらった方がいいのかもしれない。
でも、あの結末を見ると、CHというのは小さな一つの奇跡だったのかもしれないとつくづく感じてしまいました。
天女の羽衣、鶴の恩返しという異種婚姻譚の昔から住む世界の違う者同士が最後まで添い遂げた例は少ないもの。
それでも香は自分とはまったく違う世界に溶け込みながら決してそこに染まらず、
むしろ周りを自分の色に染めながら居場所をしっかりと定めていったんじゃないでしょうか。
もちろん、それが描けたのはCHがあくまで娯楽作であり
当時の北条センセがそこまで考えてなかったから、ってのもあるでしょう。
この最終回見ながら、ふと銀狐との決闘に向かう香ちゃんの心情をシリアスに考えてみたくなってしまった。銀狐を“殺して”しまうかもしれないんだし。でもきっとそこまでの内面なんて考えてなかったよな。
でもそこまで考えてなかったからこそ、あのテーマであれだけ希望に満ちた世界が描けたわけだし(かなりエピゴーネン臭の強い『JESUS』の重いこと。もちろん絵柄というのもあるが)
むしろあの当時のセンセの考えなしの楽観主義には、その続きを妄想し続けたい者として感謝したいくらいだ。
ヘタにシリアスに走ってしまうとAHになってしまうわけだし。
そしてCHの考えなしが生んだもう一つの奇跡として
そういえばメインキャラは「最初から死ぬことが決まっていた」槇村以外死んでいないというのはあのハードな世界においてむしろありえないこと。
よく最終回が近づくにつれてメインキャラを一人、また一人と消していって無理やりクライマックス感を煽り立てるような話はいくらでもありますが
CHでは結局最後まで全員無傷で最終回を迎えることができました。
だからこそAHのあの仕打ちが口惜しいのですが・・・。
一方、『セーラー服と機関銃』では全員が華々しく散ったというよりはむしろ犬死に。普通、誰か死なすにしてもその命と引き換えに何かを守らして、その死を正当化させるもの、書き手としては。
しかし『黒服』佐久間さんすら足を洗ったもののつまらないヤクザ同士の喧嘩に巻き込まれて命を落とすなど、これでもかというくらいくだらなく登場人物を殺していくさまは、むしろこっちの方がおぞましいほどのリアリティを感じさせてしまう。
こうあってはいけないはずだけど、命って。
こういう地球より重いはずである命のあっけないほどの軽さって、同じ裏の世界であるCHでも同じことなのかもしれないけど、そういう楽観主義で見て見ぬ振りをしてこれただけかもしれない。
でもここまで突きつけられちゃ別ネタとはいえ考えないわけにはいかない。
とはいえ、ウチの場合死んだはずだった槇兄すら生き返らせちゃって、ますます楽観主義に磨きがかかってるんでそこからどんどん懸け離れてるのかもしれないけど。
だって次第にストーリー上の制作サイド的に押さえてもらいたいであろうツボと
CHファン的に勝手に楽しみたい萌えどころとが乖離していってしまった感があるので。ドラマがシリアス展開に突っ走っているのに横道にそれるのもどうかと。
やっぱり、最期はああなっちゃうのね。
確かにそこから先の未来というのは妄想しようにも妄想の域を得ない、
つまりリアリティのない夢物語になってしまう。
だったらむしろ「想い出は綺麗なままで」いてもらった方がいいのかもしれない。
でも、あの結末を見ると、CHというのは小さな一つの奇跡だったのかもしれないとつくづく感じてしまいました。
天女の羽衣、鶴の恩返しという異種婚姻譚の昔から住む世界の違う者同士が最後まで添い遂げた例は少ないもの。
それでも香は自分とはまったく違う世界に溶け込みながら決してそこに染まらず、
むしろ周りを自分の色に染めながら居場所をしっかりと定めていったんじゃないでしょうか。
もちろん、それが描けたのはCHがあくまで娯楽作であり
当時の北条センセがそこまで考えてなかったから、ってのもあるでしょう。
この最終回見ながら、ふと銀狐との決闘に向かう香ちゃんの心情をシリアスに考えてみたくなってしまった。銀狐を“殺して”しまうかもしれないんだし。でもきっとそこまでの内面なんて考えてなかったよな。
でもそこまで考えてなかったからこそ、あのテーマであれだけ希望に満ちた世界が描けたわけだし(かなりエピゴーネン臭の強い『JESUS』の重いこと。もちろん絵柄というのもあるが)
むしろあの当時のセンセの考えなしの楽観主義には、その続きを妄想し続けたい者として感謝したいくらいだ。
ヘタにシリアスに走ってしまうとAHになってしまうわけだし。
そしてCHの考えなしが生んだもう一つの奇跡として
そういえばメインキャラは「最初から死ぬことが決まっていた」槇村以外死んでいないというのはあのハードな世界においてむしろありえないこと。
よく最終回が近づくにつれてメインキャラを一人、また一人と消していって無理やりクライマックス感を煽り立てるような話はいくらでもありますが
CHでは結局最後まで全員無傷で最終回を迎えることができました。
だからこそAHのあの仕打ちが口惜しいのですが・・・。
一方、『セーラー服と機関銃』では全員が華々しく散ったというよりはむしろ犬死に。普通、誰か死なすにしてもその命と引き換えに何かを守らして、その死を正当化させるもの、書き手としては。
しかし『黒服』佐久間さんすら足を洗ったもののつまらないヤクザ同士の喧嘩に巻き込まれて命を落とすなど、これでもかというくらいくだらなく登場人物を殺していくさまは、むしろこっちの方がおぞましいほどのリアリティを感じさせてしまう。
こうあってはいけないはずだけど、命って。
こういう地球より重いはずである命のあっけないほどの軽さって、同じ裏の世界であるCHでも同じことなのかもしれないけど、そういう楽観主義で見て見ぬ振りをしてこれただけかもしれない。
でもここまで突きつけられちゃ別ネタとはいえ考えないわけにはいかない。
とはいえ、ウチの場合死んだはずだった槇兄すら生き返らせちゃって、ますます楽観主義に磨きがかかってるんでそこからどんどん懸け離れてるのかもしれないけど。
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