戦闘美少女萌え(♀)の精神分析
2006年9月1日 趣味
夏休みだというのにほぼ全精力をCH二次創作に傾けている現状に、これでいいのかと反省し将来のことにちょびっとだけ思いを馳せてみた。
『萌えを語れる沙翁学者』ってのもありなんじゃないか?と楽天的に思えたのはこの本を読んだからかもしれない。『空騒ぎ』なんてツンデレ話だし。
しかし『精神分析』と書名に付くだけあって結構難解かもしれない。フロイトやらラカンやらが出てくるわ出てくるわ。ラカンとなると学部のときに少しだけ教わったが結局何もわからなかったという思い出がある。だが、実際にこの本を読んでみて、判らなかったなりにもラカンを学んでいてよかったと思った。T教授ありがとうございました。
といってもこの本で語られている戦闘美少女に萌える心理はあくまで♂ヲタクのものであって、幼少期に戦闘美少女によって自己形成した後、幾許かのブランクを経て再び彼女たちに萌えた♀ヲタはあくまで範囲外だ。
しかし♂ヲタの視点に寄り添うことによって、今までヲタクマーケットで店主が感じていた違和感が多少なりとも明らかになったのかもしれない。
ところで、店主の愛でる『戦闘美少女』槇村香が戦闘美少女にカテゴライズされうるかは微妙なところかもしれないが、少年漫画にしては例外的にキャラの平均年齢が高い(主役の冴羽撩も20代後半〜30台とおぼしき)中で、まだ20歳をすぎたくらいの香は相対的に“少女”だし、彼女のハンマーやトラップと並ぶ武器である重火器を担いだ姿は『セーラー服と機関銃』から脈々と続く戦闘美少女のアイコンの系譜に連なるイメージなのではないか、ということで勝手に認定。
そのような戦闘美少女について筆者は、アメコミなどの戦う(大人の)ヒロインと対比して「トラウマを持たない=戦う理由をもたない空虚な存在」だと定義づけ。その典型例として例示されてるのがエヴァの綾波レイだが、店主の身近な例でいえば『起動警察パトレイバー』の泉野明だろうか。確かに彼女がレイバーに載って戦う理由はかなり薄っぺらだ。そして男性社会での敗残者である南雲しのぶ、恋愛でのトラウマを抱える熊耳武緒に比べて何と無邪気なことか。
しかしCHにおいて、このような一見「トラウマを持たない」ヒロインに「兄の死」、そして「養子である負い目」といったトラウマを付与した当時の北条司のキャラクター造形はかなり巧みだといえる。それによって彼女は類型を離れた深みと、同性の感情移入に値するキャラクターを得たのではないだろうか。
しかし、AHでは見事に女性キャラクターの造形に失敗している。新たなヒロインたるシャンインはまさに「空虚」なキャラ、確かに彼女はかつて組織の殺し屋だったというトラウマを抱えているがそのトラウマこそ彼女の抱えている「空虚」そのものなのではないだろうか。
確かに♂ヲタはヒロインの空虚さに虚構性を見出し、そこに欲望(つまり『萌え』)を感じるのかもしれない。しかし♀ヲタにとってヒロインは対象ではなくあくまで感情移入する主体なのだ、少なくとも店主にとって。空っぽのキャラクターに果たして感情移入できるだろうか。その空虚さの裏にドラマがなくてはならない。そして空虚さを埋める探求がなくてはならない。でなければアニメや漫画はエロのないポルノグラフィでしかないのだから。
ということで青年の主張はこのくらいにして、呼んでみていろいろヲタクの精神病理的に性別問わず肯ける箇所があった。やや細部に拘泥しすぎている間はあるが、萌えは細部に宿るものだから【爆】
ヲタク≒コレクターという点では店主はヲタクとはいえないかもしれない(が、血眼になってCH完全版コンプリートを目指している最中;爆)
アニメ、漫画ヲタの所有の方法の一つが二次創作という指摘には思い切り膝を打ち鳴らしてしまった。
また、気に入らない結末に対するヲタクなりの抵抗としての二次創作、という例でまたしてもエヴァが挙げられていたが、それはパトでもCHでも同じことが言える。
(って何で店主ってば作り手に虐待された作品にばかり萌えるのだろうか?)
そしてそれと相対する例として『ミザリー』の狂気を挙げていたが
「その手があったか」とほくそ笑むCHファンは店主だけではないはず。
やれるもんなら作者拉致して監禁して、CHの続編書かせたいものだわ、CHファン一致団結して【爆】
『萌えを語れる沙翁学者』ってのもありなんじゃないか?と楽天的に思えたのはこの本を読んだからかもしれない。『空騒ぎ』なんてツンデレ話だし。
しかし『精神分析』と書名に付くだけあって結構難解かもしれない。フロイトやらラカンやらが出てくるわ出てくるわ。ラカンとなると学部のときに少しだけ教わったが結局何もわからなかったという思い出がある。だが、実際にこの本を読んでみて、判らなかったなりにもラカンを学んでいてよかったと思った。T教授ありがとうございました。
といってもこの本で語られている戦闘美少女に萌える心理はあくまで♂ヲタクのものであって、幼少期に戦闘美少女によって自己形成した後、幾許かのブランクを経て再び彼女たちに萌えた♀ヲタはあくまで範囲外だ。
しかし♂ヲタの視点に寄り添うことによって、今までヲタクマーケットで店主が感じていた違和感が多少なりとも明らかになったのかもしれない。
ところで、店主の愛でる『戦闘美少女』槇村香が戦闘美少女にカテゴライズされうるかは微妙なところかもしれないが、少年漫画にしては例外的にキャラの平均年齢が高い(主役の冴羽撩も20代後半〜30台とおぼしき)中で、まだ20歳をすぎたくらいの香は相対的に“少女”だし、彼女のハンマーやトラップと並ぶ武器である重火器を担いだ姿は『セーラー服と機関銃』から脈々と続く戦闘美少女のアイコンの系譜に連なるイメージなのではないか、ということで勝手に認定。
そのような戦闘美少女について筆者は、アメコミなどの戦う(大人の)ヒロインと対比して「トラウマを持たない=戦う理由をもたない空虚な存在」だと定義づけ。その典型例として例示されてるのがエヴァの綾波レイだが、店主の身近な例でいえば『起動警察パトレイバー』の泉野明だろうか。確かに彼女がレイバーに載って戦う理由はかなり薄っぺらだ。そして男性社会での敗残者である南雲しのぶ、恋愛でのトラウマを抱える熊耳武緒に比べて何と無邪気なことか。
しかしCHにおいて、このような一見「トラウマを持たない」ヒロインに「兄の死」、そして「養子である負い目」といったトラウマを付与した当時の北条司のキャラクター造形はかなり巧みだといえる。それによって彼女は類型を離れた深みと、同性の感情移入に値するキャラクターを得たのではないだろうか。
しかし、AHでは見事に女性キャラクターの造形に失敗している。新たなヒロインたるシャンインはまさに「空虚」なキャラ、確かに彼女はかつて組織の殺し屋だったというトラウマを抱えているがそのトラウマこそ彼女の抱えている「空虚」そのものなのではないだろうか。
確かに♂ヲタはヒロインの空虚さに虚構性を見出し、そこに欲望(つまり『萌え』)を感じるのかもしれない。しかし♀ヲタにとってヒロインは対象ではなくあくまで感情移入する主体なのだ、少なくとも店主にとって。空っぽのキャラクターに果たして感情移入できるだろうか。その空虚さの裏にドラマがなくてはならない。そして空虚さを埋める探求がなくてはならない。でなければアニメや漫画はエロのないポルノグラフィでしかないのだから。
ということで青年の主張はこのくらいにして、呼んでみていろいろヲタクの精神病理的に性別問わず肯ける箇所があった。やや細部に拘泥しすぎている間はあるが、萌えは細部に宿るものだから【爆】
ヲタク≒コレクターという点では店主はヲタクとはいえないかもしれない(が、血眼になってCH完全版コンプリートを目指している最中;爆)
アニメ、漫画ヲタの所有の方法の一つが二次創作という指摘には思い切り膝を打ち鳴らしてしまった。
また、気に入らない結末に対するヲタクなりの抵抗としての二次創作、という例でまたしてもエヴァが挙げられていたが、それはパトでもCHでも同じことが言える。
(って何で店主ってば作り手に虐待された作品にばかり萌えるのだろうか?)
そしてそれと相対する例として『ミザリー』の狂気を挙げていたが
「その手があったか」とほくそ笑むCHファンは店主だけではないはず。
やれるもんなら作者拉致して監禁して、CHの続編書かせたいものだわ、CHファン一致団結して【爆】
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