亀ネタになりますが

さて問題です。店主は世間ずれしているでしょうか?
これは真っ二つに分かれそうだ。自分ほどこの問いにふさわしい人間はいないような気もする。

正しくは(広辞苑的意味では)「世間に揉まれて狡賢くなる」こと、つまり世間に「擦れる」わけなのだが
「擦れる」という語自体棺桶に片足突っ込んでいるのかもしれない。
一方、世間で流通している意味は「世の中からずれている」こと。まぁ、「擦れる」なんて言い方しない世代には『世間ずれ』って聞けばそう思い浮かべるはずだ。
なんで、前者の意味でいえば店主ほどその言葉ほど遠い人間はいないのだが
後者の意味ではどんぴしゃ、ジャストミートなのだ。

こういう言葉のずれは、店主のように言葉を使う商売(給料ゼロ)にとっては非常に困る。
こうやってWeb上で自己満足的に駄文を垂れ流しているが
文章というものは読者に理解され再構築されてはじめて一丁前だと思う。
だから『世間ずれ』という言葉を前者の意味で使っても
読者が後者の意味で取ってしまってはそこでその文章は成り立たなくなってしまう。
といっても店主、国語審議会の回し者のような『美しい日本語』原理主義者ではない。だったら「いとおかし」とか言ってりゃいーんだよ。言葉は時代によって変化するもので、それを否定する気持ちは毛頭ない。
しかし、ここまで日本語がごっちゃになってしまっては、一応自分なりに『美しい日本語』というのを守っていきたいのも確か。
特に最近の子供の名前、ありゃ振り仮名振ってもらわなきゃ読めない。つーか何人?
あの子達が学校行くようになって、名前を読み間違えられるというのは結構屈辱なんだぞ。
それ以前に、親として子供に名前の由来を教えてやれるのか?
(と名前についてはまたいつか話すこともあるだろうが)

だから店主は「どうにかなってしまうほど良い」という意味で『ヤバい』を使いたくない、キャラに言わせたくない。

私事ではあるが、拙作『D×B』は約30年後の近未来が舞台だが
相馬や麒麟たちは実際に作者である店主が書いているように喋っているのか疑問になってくる。もしかしたら彼らの我々には理解不能な言葉を翻訳しているだけなのではないかと。
とにかく、今我々が話している
また、『日本語の乱れ』として俎上に上げられている言葉は30年後には定着しているのだろうか、または死語として葬られているのだろうか。

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