を新国立劇場まで見に行ってきました。
あのブレヒトが設立したベルリナー・アンサンブルの来日公演なんですが
チケットが学割で半額なんですよお嬢さん(って誰?)
そりゃお買い得だとのこのこ行ってまいりました。

この劇はヒトラーの興隆を同時代のシカゴのギャングになぞらえて描いた、ま、いわば風刺劇なんですが
ブレヒトの言うところの異化効果がどのようなものかというのを実感できる舞台でした。百聞は一見に如かず。
もともと土台がヒトラーという感情移入できない、それを歴史が許さない題材ですが
それを主演のマルティン・ヴトケが実に体を張って、声を裏返して熱演していました。あれは化け物そのものだ。

しかし、店主ががっかりしたのは貸し出しの音声ガイド。
ドイツ語なんて院試の第二外国語以来すっかり空っぽになってしまった店主にとってはなくてはならないアイテムなんですが
その声が無表情、しかも低すぎ
俳優の声がかなり甲高いものだったので違和感ありありでした。
でも地声は落ち着いた感じの低音でしたが
なので頭の中で日本語のセリフと俳優の口調を重ねて自分で吹き替えしなきゃならないのは結構大変。それで精一杯。
だったら字幕にしてくれたほうがありがたかった・・・。

はてさて、舞台はウイ(=ヒトラー)が市長(=ヒンデンブルク大統領)を丸め込んでシカゴの青果産業(=ワイマール共和国の実権)を握り、
反対する同志を暗殺してまで勢力を拡大し、ついには隣市シセロの青果トラストを併合する(=オーストリア併合)するが
マクベスのように暗殺した同志の亡霊に苦しめられる、というところでジ・エンド。尻切れ蜻蛉。マクダフもいない、バーナムの森も動かない『マクベス』といったところでしょうか。後味は良くないわな。
そもそもブレヒトの演劇っていうのは暇つぶしでも現実逃避でもない、
むしろ意図するところは広島の平和祈念館やアウシュヴィッツの資料館に近いでしょう。
つまり今、社会で何が起きているのかを判りやすい形で提示して、あとは自分で考えろ、と。
そもそもこの戯曲が書かれたのは1941年。ヒトラーの『物語』がナチスの敗北、ヒトラー自殺という形で『大団円』を迎える前の話なのだからしかたがありませんが。

そういうわけで、よりこの舞台を理解するためには当時のドイツの歴史的状況をお勉強する必要もあるのかも。
ドイツの人たちはそれこそ歴史の時間でナチスの悪行はこれでもかと教え込まれるわけなのだが、日本の場合は過去100年の歴史なんて大抵学期中に終わらなくって駆け足になってしまう。
だから「日本とアメリカが戦争したの?」とマジで驚く若者がいるという話もうなずけてしまうのですが。
店主もドイツのことなんて専門外、唯一仕入れた知識は『トラップ一家物語』仕込み【爆】というお馬鹿ですが
ハイナー・ミュラーの演出はむしろこの戯曲をヒトラーの時代のものと限定してしまうのではなく
独裁者の台頭として普遍化して見せた、といえる。
ブレヒトの演出ではそれぞれのシーンのあとに、それに対応する歴史的事実が字幕で表示された、らしい。
といってもお勉強臭の強いものじゃなく、かなり笑えました。
特にウイが落ちぶれた役者を雇って演説や振り付けを練習するシーン。
ヒトラーもまた演説のために振り付けを行ったのは有名なんですが
あれはむしろコント。ドイツ語判らなくても笑えます。
店主自身としてはそこで出てくる老俳優の「シェイクスピアのせいで人生棒に振った」というセリフに共感を覚えてしまいました。
店主だってシェイクスピアに出会わなければ、いまごろこんな極潰し生活を送ってなかったよな・・・。

それにしても、濃い劇だった。
まるで何度も繰り返されるカーテンコールが、舞台の悪夢から覚めるための儀式のようで。
そして閉幕後のシアタートークでは、なぜかNHKの堀尾アナ登場。
何で?と思ったが、もう13回目の登板らしい。
でも堀尾アナ、思いっきり墓穴掘ってました。
学習院の名誉教授の長ったらしい質問さばいたのはさすがでしたが。

(今回、めんどくさいんでテクニカル・タームはどうかご自分でググるなりしてお調べください。赤字にしておきましたのでm(_ _)m)

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