『義経』を初めて見た
2005年2月13日 TV今週はビフォーアフターがお休みだったので、父に付き合って大河を見た。
いやぁ、思ってたよりまともな大河だった。
牛若丸はアイドルの、アイドルによる、アイドルのための役柄みたいなもんだし(でも義経になっても持続できるかな)、脇を固める豪華キャストは大河でしか実現不可能!
中井貴一の兄ちゃんもきっちり『昼行灯』してたし【笑】もちろん裏ではカミソリなんですよ【爆笑】
でも気になることはいくつかある。常盤御前の衣装の考証とか
まだこの時代なら女性は袴着用だろ、まして常盤は一応公家の奥方なんだし。そもそもいつから緋袴はすたれていったんだ?
そのなかで一番引っかかったのは、一部キャラの使う関西弁。
方言の地域差を考える上で、『時間差説』とも言える概念がある。つまり、その違いは新しい日本語が畿内を中心に同心円状に広がっていく上での時間差であるという説だ。
それが本当かどうか判らないが、関西弁は確かに日本語として一番『進化』しているのではないかと思う。日本語の歴史は、いや、言語の歴史はどこも簡略化の歴史である。どこだって古文の方が難しい。
その中で関西弁は一番簡略化が進んでいると思うのだが。
まず、助詞がほとんど省略されている。特に、間接話法の場合、標準語では「〜と言った」と助詞「と」が入るが、
関西弁では「〜言うた」と省略されている。
D×Bの麒麟など関西弁キャラを書くときにはこれに結構悩まされて、気がつけば彼女の台詞にばかりやたら『』が多かったりしてしまったりするのだが。
しかし、その日本語として最新ヴァージョンに当たる関西弁が、800年前に話されていたのか?というとおもいっきり×と言いたくもなるが、
この当時といえば「ござんなれ」の時代である。考えてみればいま我々の話している日本語とはまったく違う言葉で話していたんだろう。
ところで、現在の関西弁が成立したのは一体いつぐらいだろうか?イントネーションの東西分立は、音声としての日本語が伝わってない以上いつかは判らないだろうが・・・
これとあまり違わない時代の『北条時宗』でも関西弁の公家言葉が使われていたが、あれは関東の武士との相容れることのない違いをよく現していたと思う。それはそれで演出意図的に納得できたのだが、
『義経』では関西弁=都の下層民の言葉、という設定なのだろうが、それだったらなんで上戸彩が関西弁じゃないんだ?そこら辺の関西弁スピーカーとそれ以外を分ける基準が見当たらなかったことが、多分店主の違和感の原因だったんだろう。
と考えるのは、時代小説書きたさに、当時のヴォキャブラリーについて敏感になってるせいか?
いやぁ、思ってたよりまともな大河だった。
牛若丸はアイドルの、アイドルによる、アイドルのための役柄みたいなもんだし(でも義経になっても持続できるかな)、脇を固める豪華キャストは大河でしか実現不可能!
中井貴一の兄ちゃんもきっちり『昼行灯』してたし【笑】もちろん裏ではカミソリなんですよ【爆笑】
でも気になることはいくつかある。常盤御前の衣装の考証とか
まだこの時代なら女性は袴着用だろ、まして常盤は一応公家の奥方なんだし。そもそもいつから緋袴はすたれていったんだ?
そのなかで一番引っかかったのは、一部キャラの使う関西弁。
方言の地域差を考える上で、『時間差説』とも言える概念がある。つまり、その違いは新しい日本語が畿内を中心に同心円状に広がっていく上での時間差であるという説だ。
それが本当かどうか判らないが、関西弁は確かに日本語として一番『進化』しているのではないかと思う。日本語の歴史は、いや、言語の歴史はどこも簡略化の歴史である。どこだって古文の方が難しい。
その中で関西弁は一番簡略化が進んでいると思うのだが。
まず、助詞がほとんど省略されている。特に、間接話法の場合、標準語では「〜と言った」と助詞「と」が入るが、
関西弁では「〜言うた」と省略されている。
D×Bの麒麟など関西弁キャラを書くときにはこれに結構悩まされて、気がつけば彼女の台詞にばかりやたら『』が多かったりしてしまったりするのだが。
しかし、その日本語として最新ヴァージョンに当たる関西弁が、800年前に話されていたのか?というとおもいっきり×と言いたくもなるが、
この当時といえば「ござんなれ」の時代である。考えてみればいま我々の話している日本語とはまったく違う言葉で話していたんだろう。
ところで、現在の関西弁が成立したのは一体いつぐらいだろうか?イントネーションの東西分立は、音声としての日本語が伝わってない以上いつかは判らないだろうが・・・
これとあまり違わない時代の『北条時宗』でも関西弁の公家言葉が使われていたが、あれは関東の武士との相容れることのない違いをよく現していたと思う。それはそれで演出意図的に納得できたのだが、
『義経』では関西弁=都の下層民の言葉、という設定なのだろうが、それだったらなんで上戸彩が関西弁じゃないんだ?そこら辺の関西弁スピーカーとそれ以外を分ける基準が見当たらなかったことが、多分店主の違和感の原因だったんだろう。
と考えるのは、時代小説書きたさに、当時のヴォキャブラリーについて敏感になってるせいか?
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