生存証明

2004年10月23日 時事ニュース
そのとき、自分が何をしていたか、明白に覚えてる瞬間がある。
1995年1月17日。その日は朝のニュースもロクに見ず、何事もなく学校を終えて帰ってきたらテレビの中でビルがばたばた倒れてた。風の強い日だった。
2001年9月11日。夏休みの宿題がたまっててそろそろ本腰入れてやり始めようかなと思ってたころ。その日も上で宿題してたら、母が「飛行機がWTCに突っ込んだ」と言う。そのままずるずるとテレビに釘付けになった。
そして今日も多分覚えてる。
そのとき私は・・・回転寿司とカラオケをハシゴしていた。

1回目の地震、クルマの中で気付かず。
2回目の地震、ちょうど寿司屋に着いたころ。待合リストに名前を書くときに、リストの台がゆらゆら揺れて書きづらかった、とは母の弁。でも気付かなかった。
そして3度目の地震。待合室に座っていたらいきなり大きい揺れ。といっても常識の範囲内の『大きな揺れ』だった。
そのあとももう1回大きな揺れがあったけど、そのときはカラオケしてて自分もスイングしてたんでほとんど判らなかった。判らなくって『Let’s gonto the sea〜OASIS』を原キーからさらに+1して歌うなんてバカなことやってたわけですよ。(これはキツい)
それで帰ってきて部屋に入ったら見にセロテープが床に落ちてた。「あれ、なんかあったかな?」なんて地震があったことを忘れて下に降りると、ニュースでは「新潟で震度6強」。置きっぱなしにしていたケータイを見ると、友人からの安否確認メールが。さっきまでの楽しい気分も吹っ飛びました。

これが多分、いつも通り焼き魚なんかでささやかな夕飯をテレビ見ながら食べてれば、そのままニュースに釘付けになってたんでしょうが、こんなわけなんで地元の震度すらまだわかってません。
とりあえずみづちは生きてます、不謹慎なほど元気です。

コメント

日記内を検索